正月のならわし



館腰地区の農家で行われていた正月のならわしを記録しておきます。
これは直接仙台弁とは関係がありませんが、言葉はならわしと密接な関係にあることから記録しておくこととします。
農家では正月のならわしとは正月の神様をお迎えして今年の豊作をお祈りするためのものでした。
なお、これは昭和30年代のkonnokの記憶から作成しています。最近は簡略化が進んでいます。

日 付 正 月 の な ら わ し 関連する仙台弁
大晦日以前 餅をついて正月に備える。丸めた餅を作っておく
栗の木またはみずの木の大きめの枝を取ってくる。
その枝の先端や途中に小さく丸めた餅(めえだま)をたくさんつけた飾り(だんごき)を作る。
めえだま
だんごき
大晦日 お正月には正月の神様が家に来ると信じられていた。
夕方には年男(その年の干支生まれの男子)が身を清めて正月の神様を迎える用意を始める。
臼をさかさまにしてその下に丸めた餅を置く。(臼を休ませる)
新しいバケツとひしゃくを用意し、それぞれの取っ手に白い紙を巻いて水引で結わえてその上に置く。
神様に祀るための縄と和紙で作った飾り(注連縄(おどすなわ)またはわどおし(わかざりとも言う))を飾る。
飾る場所は敷地の入り口(じょうぐづ)、玄関、家の敷地内に祀られる神様(ずないのみょうじんさん)、かまど、井戸、自転車、自動車など。
なお、これは略式で本来は大晦日になると男は全員お風呂に入って身を清めてから注連縄をなって、それを部屋の中に飾ったとのこと。(konnokの記憶はないのですが)
昔は数え年だったので大晦日に全員が歳を取った。(大晦日を「おどすとり」と言う)
おしょがっつぁん
おどすなわ
わどおし
じょうぐづ
ずないのみょうじんさん
おどすとり
元旦 朝は大晦日に作ったバケツとひしゃくで最初に井戸から水を汲む。
これを若水と呼んで、料理などに使用する。
元旦の朝には元朝参りとして神社にお参りをする。
神様を描いた掛け軸を床の間に飾る。
事代主神(ことしろぬしのかみ)、大國主神(おおくにぬしのかみ)、大歳神(おおとしのかみ)、五穀豊穣と書かれた祀りの紙を神棚に飾る。
台所(かまや)にはかまどの神様(おがまさま)の祀りの紙を飾る。
正月の神様の飾り(たまがみ、玉紙・魂紙)を丸めた餅で押さえて神棚に飾る(これは宮城県だけの風習だとのこと)
朝は神棚に餅のお膳を供える。晩は神棚にご飯のお膳を供える。
かまや
おがまさま
おしょがっつぁん
たまがみ
1月2日 朝は神棚に餅のお膳を供える。晩は神棚にご飯のお膳を供える。
(原則として正月は1日2食)

1月3日 朝は神棚に餅のお膳を供える。晩は神棚にとろろのお膳を供える。
神棚に供えたとろろは食べずに家の入り口(じょうぐづ)などに撒くと病気などの厄災が入ってこないと信じられている。
じょうぐづ
1月7日 七草粥を作る。春の七草を摘んできて細かく刻み餅を入れた粥を作る。
七草を細かく刻むときはおまじないとして、「遠くの鳥も近くの鳥も騒がぬ先に七草たたき七たたき」と7回唱えることを7回繰り返す。
ななくさたたぎななたたぎ
1月11日 野初め(のそめ)。この日から農作業を始める。 のそめ
1月14日 正月の神様をこの日に送ると考えられている。
真夜中まで起きていて、暁粥(あかつきがゆ)という小豆の粥(塩味は全く入れない)を食べる。
正月に使った飾り物を集めてまわる。
正月の神様が帰り忘れないように家の周りを回って声をかける。 かける声は家ごとにそれぞれ違っていた。(konnokの家では「やへやへほー」とかけ声をかけていた。:注1
わどおしをまとめると輪の中に空洞ができるので、神様が帰る途中に食べるためということで、大きめの飾り餅を暁粥にくるんでそこに入れて供える。
これらを神社に持っていき、正月の神様をどんと祭の焚き火の中で天に帰す。
あかつきがゆ
どんとさい
やへやへほー
1月15日 正月の神様の飾りを押さえる餅を再度新しいものと取り替える。
1月31日 正月の飾りを全て取り外す。

年男は原則として家族の中のその年の干支の男性(年齢が12の倍数)である。該当者がいない場合は家長が年男になる。
年男は正月のしきたりを中心となって行う。


わどおし
(簡易な注連縄)
正月の飾り(玉紙)
(丸めた餅で押さえてある)
ずないのみょうじんさん
(地内の明神様)
玉紙の例
(えび、神棚に飾る)
玉紙の例
(こんぶ、仏壇に飾る)
簡易な注連縄 正月の飾り 地内の明神様 玉紙えび 玉紙こんぶ


注1知人のblogに「ヤハハエロ」=弥(いや)は、栄(は)えろ(家や地域がますます栄えますように)
という解説がありました。