佐々木融の弱い日本の強い円を読みました。
為替相場の仕組みについての解説でした。
konnokは金融方面の基礎知識はほとんどないので、読んでいて十分理解することは出来なかったのですが、円高=日本の国力ではない、ということはおぼろげながら理解できました。
円高を解消するには日銀の介入はほとんど効果がない、という主張が正しいとすると、またまた日本政府は誤った政策を採り続けていると言うことになるのでしょうか。
最後に書いてあった、「悪性のインフレは需要増により起きるのではない、通貨の信認が失われたときに起きるのである」という警句はしっかり覚えておこうと思ったのでした。
冲方丁の天地明察を読みました。
江戸時代初期に日本の暦を作った渋川春海、またの名を安井算哲の生涯を描いた小説でした。
碁打ちの家系生まれ、碁の才能も持ちながら、算術・暦術の腕を見込まれて、日本の緯度に即した暦法である大和暦を開発し、帝に上奏した人物です。
算額を見ると、他人の目も気にせず地べたに座り込んで夢中で解法を考えてしまう、という春海の人物像がとてもいい。
算法や天文の知識に対する飽くなき追求の姿勢がとても魅力的です。
他に登場する歴史上の人物たちも魅力的で、水戸光圀、保科正之、関孝和といった人たちに持っていたイメージがちょっと変わりました。
最後にもう一人、この物語で魅力的だったのは、春海の後妻えんでした。
武士の娘であるえんと技術屋の春海のかけあいは面白く読みました。
ちょっと調べてみると、ガリレオが生まれたのが1564年、渋川春海が生まれたのが1639年、その当時でも日本では地動説が知られていたんですね。面白いなあと思いました。
積ん読一覧
最近、読み終わる前に次の本を買ってしまう傾向があるため、以前買ったのに読まれないまま堆積している本が多くなってきました。
私は本を読み終わったときに日記に書くので現時点での積ん読本を記録しておきます。
小川未明全集(小川未明)
ゲーデル、エッシャー、バッハ(ダグラス・R・ホフスタッター)
赤毛のアン(モンゴメリ)
八日目の蝉(角田光代)
ローズガーデン(桐野夏生)
ソウルケイジ(誉田哲也)
彼女がその名を知らない鳥たち(沼田まほかる)
不連続の世界(恩田陸)
いのちのパレード(恩田陸)
いつかパラソルの下で(森絵都)
名もなき毒(宮部みゆき)
九月が永遠に続けば(沼田まほかる)
そして、今日買ってきたのが
弱い日本の強い円(佐々木融)
ストーリーセラー2(新潮社編)
木漏れ日に泳ぐ魚(恩田陸)
せつない話第2集(山田詠美編)
シンメトリー(誉田哲也)
アイスクリン強し(畠中恵)
コロヨシ!(三崎亜記)
ちょっとセーブしないといけませんね。
内田樹と春日武彦の健全な肉体に狂気は宿るを読みました。
生きづらさの正体、という副題のついた、生き方についての対談集でした。
章毎のテーマは、世代論に逃げ込むな、「自分探し」はもうやめよう、人間はわかりあえっこない、個性とこだわり幻想、健全な肉体に狂気は宿る、まずは身体に聞け、と現在喧伝されている生き方の解説やコミュニケーションについての解説に真っ向から対立する主張が述べられています。
春日武彦の精神病の臨床医療の現場からの意見と内田樹の身体の発する信号を聞いて行動しようという主張とがかみ合って面白い読み物になっています。
アメリカの契約社会で育ったコミュニケーションの方法は、日本の以心伝心の文化には合わない、という意見は納得します。
キャリアとは自分で形成するものではなく、他の人が必要とするものを提供し続けていくものだ。
自分だけの秘密を持つことが出来るということが大人の条件だ。
未来が予測可能だと考える人は、取り越し苦労をしてしまう。
精神科に来る人はこだわりとプライドと被害者意識の3点セットが多い。
自分探しは自殺行為である。
などなど、奥深い警句が書かれています。
畠中恵のこころげそうを読みました。
江戸時代を舞台にした幼なじみたちの恋模様を描いた短編連作でした。
下っ引きの宇多の幼なじみ於ふじとその兄千之助は、半年前誰かによって川に突き落とされ、亡くなってしまいます。
ところがその於ふじが幽霊になって長屋に戻ってきます。
密かな恋心を抱いていた於ふじの幽霊の助けを借りながら、宇多は於ふじを川に突き落とした下手人を見つけようと調べを進めるのでした。
江戸時代を舞台に、家のしがらみと恋心のはざまでゆれる幼なじみたち、それを暖かく見守る大人たちが描かれています。
本多孝好のALONE TOGETHERを読みました。
他の人の思考にシンクロすることが出来るという能力を持った青年の物語でした。
他の人の考えていることに同期して、同じ考えを共有できる能力というのはすばらしいように思えますが、この物語ではその能力は呪いとして描かれているのでした。
人が深層心理で考えていることが白日の下にさらされる、ということは必ずしもその人の幸福にはつながらないという主張なのでした。
そして、彼はその能力を抱えてこれからの人生を生きていこうとするのでした。
初期の村上春樹の文体のように物語が淡々と、しかし歯切れ良く語られていくのは、読んでいて気持ちの良いものでした。
誉田哲也のストロベリーナイトを読みました。
姫川玲子という女性刑事が主人公の警察小説でした。
登場人物のキャラクターが立っていて魅力的なので物語に引き込まれました。
主人公が抱えている過去の疵と立ち直った経緯、なぜ刑事を目指したのかも描かれています。
しかし、今回の主犯はなぜこのような事件を起こしたのか、という納得性があまり感じられませんでした。
そして、konnokはジェットコースターとホラー映画とスプラッターが好きではないので、評価はちょっと低くなってしまいます。
宮部みゆきのチヨ子を読みました。
怪奇現象を描いた5編の短編集でした。
一番気に入ったのは表題作「チヨ子」です。
私たちが普通の生活をおくれるのは、狂気にとらわれないですんでいるのは、じつは子供の頃に好きだったぬいぐるみのおかげなのだ、という感覚は日本人の感覚なのでしょうか。
逆に気持ちが悪いと感じたのは諸星大二郎の漫画のような「聖痕」でした。
預言者は救世主を見ることが出来るが、神を見ることはできない、救世主は神を見ることが出来るが...
そしてその神が邪悪な神だったとしたらどうなってしまうのか。
畠中恵のころころろを読みました。
江戸時代の妖が活躍するしゃばけシリーズの8冊目でした。
大妖の皮衣を祖母に持つ廻船問屋長崎屋の若旦那一太郎は病弱で、ちょっとしたことで熱を出して寝込んでしまいます。
しかし一太郎は妖と仲がよいので、まわりには自然に妖が集まってきます。
一太郎とまわりの妖たちが織りなすにぎやかな物語が描かれていきます。
この巻では一太郎がひょんなことから生目神のたたりを受けてしまい、目が見えなくなってしまいます。
一太郎の目に光を戻そうと長崎屋の番頭たちや妖たちが活躍します。
まあ、マンネリ化の傾向はありますが、安心して楽しめるシリーズなのでした。
有川浩の三匹のおっさんを読みました。
定年を迎えた剣道家キヨ、店を息子に譲った柔道家シゲ、年の離れた娘と二人暮らしの機械屋ノリという還暦トリオが活躍する物語でした。
三匹のおっさんたちは近所で起きる事件を解決するために私設自警団を結成するのでした。
6つの短編でそれぞれの事件と解決に向けたおっさんたちの活躍が描かれていきます。
有川浩らしく、現在の世相に対する警句もちりばめられています。
登場する人物たちもそれぞれキャラが立っていて、違和感なく物語を読み進めることが出来ます。
おっさんたちの一番怖いのが幼なじみの頃からの知り合いで、キヨの奥さん芳江というのもいい感じです。
もちろん、有川浩十八番のラブコメ味もついていて、キヨの孫祐希とノリの娘早苗の高校一年生カップルのからみも楽しめました。
北村薫・宮部みゆき編のとっておき名短篇を読みました。
オムニバス形式の短編集でした。
それぞれの短編は、意外な展開になるもの、オチが秀逸なもの、考えさせられるものなどバラエティーに富んでいます。
最後に北村薫と宮部みゆきの対談による紹介が書かれているので、それも含めて楽しめました。
一番気に入ったのは、飯田茂実の「一文物語集」でした。
3行以内で書かれた小説のプロットのような文章が100以上書かれていて、それぞれがdixitのカードのように鮮やかな情景を描いているのでした。
私は情景が浮かんでくるような小説を気に入る傾向があるためか、これはとても気に入りました。
浅田次郎の夕映え天使を読みました。
老境にさしかかったとき、人生を振り返って人は何を考えるのか、というテーマの短編集でした。
面白いなあ、と思ったのは、特別な一日という短編でした。
今日で定年を迎える私こと高橋部長は会社で普通通りの一日を終えて愛する妻と娘の待つ家に帰ります。
その途中でいろいろな人と昔話をするのでしたが...
物語は最後にどんでん返しがあるのですが、私もそのうち定年の日が来るんだなあ、と思いながら読んだのでした。
沼田まほかるの猫鳴りを読みました。
猫を飼うということは、人生にどのような影響を与えるのか、ということがテーマの作品でした。
第1章では高齢で妊娠した子供を流産してしまった女性信枝の視点で物語が描かれていきます。
捨てられていた仔猫を信枝は三度遠くに捨てに行くのですが、その子猫はその度に信枝のもとに戻ってくるのでした。
夫の藤治は見かねてその仔猫を買うことに決め、信枝に亡くしてしまった子供の代わりにその猫を飼うことにしようと話すのでした。
第2章では別の仔猫が拾われますが、この仔猫は生き延びることが出来ないのでした。
仔猫の描写がかわいいだけに、こみ上げてくるものがあります。
第3章では1章で拾われた猫が老いてしまい、同じく老いてしまった藤治がその猫の最期を看取る心の準備をする過程が描かれています。
だんだん弱ってきてしまう猫、しかし猫は人間のように寿命が尽きることを嘆いたりしません。
最期まで猫としての威厳を保ったまま生きていくのでした。
私も半年前に家に居着いてしまった迷子の猫を飼うことにしました。
この本を読んで、今飼っている猫が最期を迎える時のことを覚悟しておかなければならないんだなあ、と今更ながら思ったのでした。
沼田まほかるの言葉は深くまっすぐに読者の心の中に入ってきます。
この人の他の本も読んでみようと思いました。
近藤史恵のモップの精は深夜に現れるを読みました。
天使はモップを持っての続編で、ポップな服装の掃除屋キリコの4つの短編が収録されています。
今回も謎解きとしては、意外な動機や、キリコの的確な推理が楽しめました。
登場人物の描き込みがちょっと不足していると感じたのは前作同様ですが、それぞれの登場人物たちの背景はくっきりと描かれていて読みやすく感じました。
物語の中に描かれている会社内の女性たちの人間関係はかなり面倒で、konnokにはとても対応できないと感じました。
この人もOLをしていた時期があるとのことで、実体験を元に書かれているんだろうなあ、と思ったのでした。
4編目の「きみに会いたいと思うこと」はキリコの謎を夫の大介が解くという形式でした。
キリコは理想的な女性として描かれていますが、本当にこんな人が掃除屋をしていたら楽しいだろうな、と思いました。
誉田哲也のジウ3を読みました。
ジウ1の完結編で新世界秩序という副題がついています。
連続誘拐事件の主犯ジウの黒幕ミヤジは新宿歌舞伎町を封鎖してそこに無法地帯「新世界秩序」を実現してしまいます。
ミヤジに操られている伊崎基子は総理大臣を「新世界秩序」に拉致してしまいます。
警察の上層部にもミヤジの息のかかった人間がいるなか、警視庁そして東弘樹と門倉美咲の苦闘が続きます。
物語としては、東や美咲そして正気に戻った基子の活躍で事件は解決します。
それはそれで面白く読みましたが、黒幕ミヤジの行動がちょっと腑に落ちませんでした。
この男ならこんな派手なことはやらずに、もっと巧妙に社会の裏側から悪事を働いていきそうな気がしたのでした。
誉田哲也のジウ2を読みました。
ジウ1の続編で警視庁特殊急襲部隊SATという副題がついています。
東弘樹と門倉美咲が追う連続誘拐事件の主犯ジウの正体が明らかになってきます。
そして、ジウの黒幕の存在、および殺人を罪悪と見なさないグループ「新世界秩序」の不気味な姿も現れてきます。
そして伊崎基子も「新世界秩序」の暗黒部にとらわれてしまうのでした。
東弘樹、門倉美咲はどのようにこの事件を解決していくのか、それとも解決できないままになってしまうのか、結末は第3巻につづく、のでした。
誉田哲也のジウ1を読みました。
警視庁特殊犯捜査係SITという副題のついた警察小説でした。
門倉美咲と伊崎基子という二人の女性警官が主人公です。
美咲は犯人を説得して投降させるのが得意な心優しい下町娘、基子は戦闘能力だけで人を判断する格闘マシーン、と正反対の性格なのでしたが、なぜか基子は美咲が気になってしまうのでした。
特殊犯捜査係ということで、誘拐事件などのバイオレンス的な描写がふんだんに出てきてちょっと食傷気味ですが、二人のヒロインの活躍が描かれていて面白く読みました。
連続誘拐事件の主犯のジウというのがどういう人物なのか、ということが謎に包まれたまま、第2巻につづく、のでした。
米村圭伍の山彦ハヤテを読みました。
東北新幹線を連想させる題名のとおり、奥羽山脈と北上山地に囲まれた折笠藩を舞台にした物語なのでした。
折笠藩の若き藩主三代川正春は、腹心の側近に裏切られて天狗山で死にかけていたところを山童のハヤテに助けられます。
正春とハヤテ、そしてはぐれ狼の尾ナシは山の小屋で生活していくうちに良い友達になっていくのでした。
折笠藩のお家騒動やハヤテが弟子入りした黒鐵屋伝右衛門からの遣いで箙を届けに行く途中の騒動などが物語られていきます。
正春とハヤテの立場と性格のコントラストが鮮やかな物語になっていて面白く読みました。
友人のおすすめだった作家なので、退屈姫君伝シリーズもそのうち読んでみることにしましょう。
群ようこのかもめ食堂を読みました。
日本での日常に疲れてしまった女性がフィンランドのヘルシンキで食堂を始めるという物語でした。
そして同じような境遇の女性が加わって食堂が軌道に乗るまでのいきさつが描かれています。
でもここには、生々しい女性の悩みは描かれていません。
苦しい恋愛もないし、女性同士の軋轢もない、お金の心配もない、老後の心配もない、穏やかな物語でした。
先に読んだ食堂かたつむりと併せて考えてみると、これは現代の女性向けのおとぎ話なんだなあ、と思いました。
昔々あるところに都会の生活に疲れた女性がいました。
彼女は遠い遠い村に移り住んで食堂を始めました。
そこに住んでいる人たちはみんな優しい人たちで、彼女は幸せに暮らしたのでした。
絲山秋子のイッツ・オンリー・トークを読みました。
等身大の女性の悩みや行動が描かれた中編が二つ収録されていました。
イッツ・オンリー・トークは、病気のために仕事のキャリアを断たれてしまった橘優子が自分と折り合いをつけていくという物語でした。
奇妙な登場人物たちが現れて優子と関わっていく様子が「すべてはムダ話」というトーンで描かれています。
第七障害は、乗馬の事故で乗っていた馬を負傷させてしまった早坂順子の物語でした。
その馬は予後不良で安楽死の処置となってしまいましたが、その馬の思い出が順子を苦しめるのでした。
そのことを忘れるために、順子は群馬から東京に出てくるのですが、結果的に彼女を助けるのは群馬の乗馬仲間なのでした。
仲間たちの温かい思いやりの中で彼女は少しずつ癒されていくのでした。
伊坂幸太郎のモダンタイムスを読みました。
50年後の未来、個人を恐怖で押さえ付ける「システム」ができあがっていました。
一般の市民はそのような「システム」が存在することを知らずに生活しています。
しかし、その「システム」の存在に気づいて調べようとする人間には大きな災いが襲ってくるのでした。
主人公はシステムエンジニアで、クライアントからきた奇妙な仕事をしていくうちに、隠された情報を知ってしまい、「システム」から狙われてしまうのでした。
巨大なシステムに立ち向かう個人という構図は面白かったのですが、物語としてはイマイチ面白く感じられませんでした。
主人公の妻として、美人で、格闘技のエキスパートで、思い切りがよくて、夫を愛しているけど、ちょっとだけ嫉妬深い奥さんというのが登場します。
彼女の行動はエキセントリックで面白かったのですが。
内田樹の疲れすぎて眠れぬ夜のためにを読みました。
現在の日本で常識とされている、いろいろな事柄に日本人の文化の原点から疑問が投げかけられています。
・サクセスモデルの幻想を捨てよう。女性誌が提示する理想的な成功のモデルなんて実現は無理なんだから。
・現在日本の常識となっているアメリカの女性のサクセスモデルは女性嫌悪の歴史に基づいている。
・今の若い人たちが個性だと思っていることの95%は実は「既製品」であり、残りの5%の中で違いを表現しようとしている。
・現在の日本人は安全になれすぎて、本来動物が持っている危険察知能力が失われている。
・「愛」だけを基盤にした家族はもろい。核家族では大家族より自殺が多い。
・「愛情は時として暴力的な形を取る」と言うイデオロギーが家庭内暴力を生み出す。
・礼儀正しいと言うことは自分をまもる戦略であるとともに、他人と良好な関係を作るための技術である。
と言うようなことがわかりやすく書かれています。
この本で言われているようなことは、ちょっと考えればわかるはずなのに、なぜ日本人は間違った方向に進んでいるんだろう、と思ってしまいます。
加納朋子の少年少女飛行倶楽部を読みました。
中学校に入学したばかりの海月(みづき)は幼なじみの樹絵里(じゅえり)に誘われて、飛行クラブというクラブ活動に参加することになってしまいます。
ところが、この飛行クラブは二年生の斎藤神(じん)という部長とその友人の中村海星(かいせい)の二人しか部員がいないのでした。
海月はくーちゃんという愛称で呼ばれていますが、これは海月がクラゲという読みなので、くらげちゃんからくーちゃんに変化したのでした。
この海月の視点から飛行クラブが紆余曲折を経て本当に空を飛んでしまうまでのいきさつが語られていきます。
登場人物たちがそれぞれ個性的(変人)で、その人たちをつないで、空を飛ぶという目的にまとめていく海月の苦労が明るく描かれていきます。
海月の明るい性格、海月の母親の能天気さ、ボケとツッコミの間合い、ちょっとラブコメ、という気持ちの良い物語になっています。
中学一年生はこんなに世慣れていないだろう、と突っ込んでみたくなりますが、物語はとても面白く読みました。。
加納朋子は良い方向に作風を変えたようです。
今後の加納朋子の作品が楽しみになりました。
浅田次郎の憑神を読みました。
時代は江戸末期、貧乏御家人の彦四郎はとある祠に手を合わせてしまったばかりに、貧乏神、疫病神と言った憑神に憑かれてしまうのでした。
不運な人の物語を書かせたら天下一品の浅田次郎ですが、今作はちょっとピンと来ませんでした。
konnokには幕府の御家人の徳川家に対する忠義や武士道に対する思い入れがよく理解できなかったためでしょうか。
近藤史恵の天使はモップを持ってを読みました。
主人公梶本大介はある会社の新入社員。
そして、その会社には奇抜な服装の掃除のお姉さんがいるのでした。
掃除のお姉さんの名前はキリコ、そして彼女は有能な掃除婦であるとともに、優秀な探偵だったのでした。
職場で起きている事件に対する謎解きはそれなりに面白く読んだのですが、登場人物の描き込みがちょっと淡泊で、生きている人間として感じられませんでした。
紙でできた人形劇を見ているような感じがしました。
伊藤比呂美のとげ抜き 新巣鴨地蔵縁起を読みました。
ずっと昔、結婚する前にこの人の良いおっぱい悪いおっぱいと言う本を読んで、「がさつ、ぐうたら、ずぼら」という合言葉にしびれてしまったのでした。
その頃からのファンなので、友人の読書欄に載ったのを見てすぐに買って読んでみました。
読み始めてみて、その文体に驚きました。
普通の文章ではない、話し言葉でもない、講談調でもない、詩でもない、頭の中にわき出てくる言葉をそのまま書き下ろしたような文体なのです。
日本語だけでなく、英語のエッセンスもふんだんに盛り込まれているようです。
最初は面食らったのですが、そのうち煮込んだモツ煮のような文体に引き込まれてしまいます。
解説で上野千鶴子がこの文体は「かたり」である、と解説しています。
文中に他の文学の一部が修飾されて引用されていて、それが章の終わりで、「往生要集」より声をお借りしました、というように書かれています。
伊藤比呂美はこの文体を声であると言っているのでした。
書かれているテーマは、介護が必要になりつつある父母やイギリス人の夫との軋轢、老い・子育てなどの苦、浄土や往生要集などの仏教の教え、そして巣鴨のとげ抜き地蔵。
良いおっぱい悪いおっぱいの頃は20代で生命の明るさに充ち満ちていた伊藤比呂美も、30年経ってみると近づいてくる死・苦に対する備えが必要になってくるのでした。
まあ、同年代であるkonnokも同じなのでしたが。
北村薫の鷺と雪を読みました。
ベッキーさんシリーズの3冊目(完結編?)でした。
昭和初期の上流階級の若い女性とベッキーさんと呼ばれる女性運転手の物語でした。
大東亜戦争に向かって転がり落ちていく兆しが見えてきた時代に生きていた人物像が描かれています。
北村薫の描く若い女性はきりっとしていて、男性から見た理想的な女性として描かれているように思います。
明るくて頭脳明晰で、おもいやりがあって、ユーモアもある。
この物語の後、この主人公はどのように戦中戦後を生きたのだろうか、と考えられずにはいられません。
物語の中で、漢書の「よく敗るるものは亡びず」と言う言葉が引用されていますが、日本はよく敗れることができたのだろうか、と考えてしまいます。
本多孝好のFINE DAYSを読みました。
恋愛小説と副題がついていて、4つの中編が収録されています。
私は描かれている情景が目にうかぶような小説が好きなので、この小説は気に入りました。
また、静かな語り口で語られる静謐な雰囲気もいい感じです。
表題作「FINE DAYS」は超能力をもつ人に関わってしまった普通の人たちの物語でした。
超能力が不可抗力の災害であるように描かれていて、それに関わる人たちがその災害を乗り越えて静かに生活していくように描かれているのが印象的でした。
「シェード」はO・ヘンリーの「賢者の贈り物」を下敷きにしたような物語でした。
愛し合う男女がお互いに向けての贈り物を買う、というところまでは同じですが、男が買い物をするときに店の老婆により昔の寓話が語られ、その二人の未来が暗示される、という構成が秀逸だと思いました。
物語としてはとても楽しんだのですが、一点だけ気になったのが、この作家は綺麗という言葉を奇麗と書いていることでした。
北京で見た簡字体のような違和感を感じてしまいました。
絲山秋子の逃亡くそたわけを読みました。
躁鬱病の若い女性が、収容されている病院を抜け出して車で九州を縦断するという物語でした。
テーマは重いのですが、描かれているタッチは軽く、主人公とたまたま同行することになってしまった若い男性の掛け合いが楽しめます。
幻聴に悩ませられながらも、前向きに生きていこうとする主人公がけなげに感じられます。
とは言え、テーマがはっきりしない物語なので、ちょっとイマイチと感じました。
桐野夏生の錆びる心を読みました。
桐野夏生らしい、人間の心理の暗部を描いた短編集でした。
私もひどく酔った次の日は自分の行動が思い出せないことがあるので、その恐怖を描いた「ジェイソン」は怖い物語でした。
表題作の「錆びる心」は、10年間じっと不幸な結婚生活に耐えていた女性が家庭を捨てる物語です。
その行動がどういう意味を持つのか、ということは家庭を捨てた後になって腑に落ちてくるのでした。
デビッド.D.バーンズのいやな気分よ、さようならを読みました。
自分で学ぶ「抑うつ」克服法という副題のついた、認知療法の解説書でした。
人間は常識的に生きていくために、自分に対して考え方のフィードバックをしているものだ。
ところが、その自分に対するフィードバックが効き過ぎて、強迫的に良くないことだけを考えてしまう(これをこの本では自動思考と呼んでいます)ことが、うつ病の症状である、という主張の解説書でした。
それを改善するためには、自分の考え方がどのように袋小路にはまっているのか、ということを自覚することにより、うつ病の症状の改善が図れると主張されています。
具体的な対策にとしては、例えば二分割チャートの用紙に自分の考えと自動思考を書き出すことにより、自分の考えの病的なところが自覚できるわけです。
この対策を読んでみて、私はQCの技法を連想しました。
QC活動もやってみたことがないと、解説本だけ読んでもそんなことをやったって作業の改善になんかならないよ、と思ってしまうのですが、良い指導者について実際にやってみるとそれなりの改善はできるものです。
解説されているツールもQC7つ道具に似ているなあ、と思ってしまいました。
この本を読みながら私が考えていたのは、言葉が全てに優先する契約社会である欧米の文化がうつ病が蔓延する背景なんじゃないかなあ、ということです。
アジア的な文化では、頭で考えることと同じくらい、腹で感じること、体で覚えることが重要視されていて、つべこべ言わず、まずは体で覚えろ、ということになります。
ところが、欧米の先進的な考え方では、まずは自分の考えがあって、それをもとに全ての行動が組み立てられていく、ということになります。
自分で正しく考えるためには人間性が成長している必要があるのですが、そこが不十分だと腹で感じることもできないため、精神的に不安定になってしまうのだと思いました。
やる気がないから行動しない、というのは間違いで、行動しないからやる気がわいてこないんだ、というような主張は納得してしまいます。
美奈川護の特急便ガール!を読みました。
人の想いが込められたものを届けるハンドキャリー便の女性が主人公の物語でした。
吉原陶子はバイク便のユーサービスで働くことになったのですが、残留思念の込められたものを届けようとするとそのものが届きたかった場所にテレポートしてしまうという超能力に目覚めたのでした。
そして、いろいろな想いが込められたものたちを正しい場所に届けるのでした。
読んでみた感想としては、陶子の突然目覚めた能力が唐突で、納得性に欠けるのがイマイチでした。
物語の語られ方もあまりうまくないので、物語がスムーズに頭に入ってこないなあ、と感じました。
いくつか謎解きも入っているのですが、「なるほど、そうだったのか」という感じよりは、「ああ、そう言うオチなのね」という感じで、あまり楽しめませんでした。
絲山秋子の絲的メイソウを読みました。
絲山秋子の露悪的エッセイでした。
瞑想というよりは妄想に近いような、絲山的人生観が綴られていきます。
禿礼賛という章では禿に萌える絲山秋子の感じ方が大まじめに語られています。
寝言は寝て言えという章では、寝言で、お客様に丁寧に挨拶をした後、「クソオヤジがっ」と言ってしまったというエピソードが語られています。
また、絲山の取説という章では、家電の取扱説明書のようなトーンで自分の紹介が書かれています。
どれもこれも吹き出しそうになりながら面白く読みました。
極めつきが世の中みんな五七調という章で、一回分のエッセイが全て五七調で書かれているのです。
私はテンポの良い文章が好きな方なので、このようにたたみかけるように書かれている文章には参ってしまいます。
この作家がいっぺんで気に入ってしまいました。
夏海公司のなれる!SE 5を読みました。
ステップ・バイ・ステップ?カスタマーエンジニアという副題のついた、なれる!SEシリーズの5冊目です。
期限もリソースも考えずにダボハゼのように仕事を取ってきて、担当者に無茶振りする社長のいる最悪なIT会社に就職した桜坂工兵のSE残酷物語の5冊目でした。
今回はダボハゼ社長が、ネットワーク機器の全国設置の仕事を取ってきました。
ところが、予想通り、工兵と立華が全国行脚するというのに段取りが全くできておらず、設定資料は最新化されていないわ、接続ケーブルは間違っているわ、入館のアポは取られていないわ、スケジュールは過密だわ、と大変な状況になるのでした。
最後にパスワードを教えてもらえないという絶望的な状態になるのですが、ラノベなので、綱渡り的なパスワードクラックで設定ができてめでたしめでたしに、なるのでした。(なってなかったかも)
今回、ぴきっと来たのは、一所懸命仕事をしている工兵にカモメさんがかけた言葉、「りっぱに社畜化してるなあ」でした。
ちょっと、耳に鈍痛を感じてしまいました。
藤崎さんの「SEは無理して仕事を探してはダメだ。休めるときに休むようにしないと」というのも納得したんですが。
トラブルが起きれば土日だろうが夜間帯だろうが仕事をしなければならなくなるのはこの業界の宿命だから。
今回は梢さんのホラーなところが現れてきて、先が楽しみになってきました。
ところで、梢さんが怖い独り言を言ったのを工兵が聞いてしまうのですが、これは梢さんがつい独り言を言ってしまったのか、それとも工兵にテレパシーの超能力があるのか、どちらなんでしょうね。
石田衣良のドラゴン・ティアーズを読みました。
池袋西口公園物語の9冊目でした。
いつもの通り、池袋のトラブルシューター、マコトが池袋の街で活躍する物語です。
今回も4つのエピソードが語られていきますが、水戸黄門のような単純な勧善懲悪の物語になっていて全然面白く感じませんでした。
初期の頃の物語では、善と悪、正義と犯罪がからみあっていて単純に割り切れないところや、表面に現れているものと隠れた本質的な部分のギャップが魅力的なシリーズだったのでしたが。
石田衣良の小説の才能は枯渇してしまったのでしょうか。
ちょっと悲しくなってしまいます。
本多孝好のMOMENTを読みました。
「この病院には死を前にした人の願いを聞いてくれる黒衣の仕事人がいる」というテーマの短編集でした。
アルバイトでその病院の掃除夫をしている大学生の主人公は、死期を迎えた入院患者達の願いを聞いて、依頼の仕事を実行していくのでしたが、それぞれの入院患者には秘められた目的があるのでした。
その人が生きていたという証を残すために、それぞれの入院患者は主人公に仕事を託すのでした。
切ないけれど、登場する人物たちのひとときのきらめきがまぶしい物語でした。
絲山秋子の沖で待つを読みました。
芥川賞受賞作を含めた3つの短編が収録されています。
「勤労感謝の日」はひょんなことから会社を辞めることになってしまった30代の女性の1日を描いた物語です。
近所の親切なおばさんの紹介でお見合いをすることになるのですが、相手の男性はkonnokから見ても人間的に好きになれないタイプの男なのでした。
結局、彼女はそのお見合いの席を飛び出してしまうのでした。
「沖で待つ」は雇用機会均等法時代に女性総合職として会社に入社した女性とちょっと太めの同期の男性との友情の物語でした。
入社して二人は九州支社に配属になります。
そこの先輩達に育てられて二人ともたくましく生きていくのでしたが、別々の場所に転勤した後、その男性が事故で亡くなってしまいます。
彼女は同期の男が単身赴任していたマンションに出かけていってその男の幽霊と思い出話をするのでした。
どちらも等身大の女性の感覚がみずみずしく描かれていて、ほほえましく読むことができました。
加納朋子の七人の敵がいるを読みました。
ワーキングマザーの友人がおすすめしていた(ただし、保守的な男性は除く)ので、加納朋子が好きなこともあり、文庫本ではありませんでしたが読んでみました。
子供を持っている編集者の山田陽子が、学校のPTAの役員にさせられたり、自治会の会長になってしまったりして、仕事も子育ても忙しい中奮闘するという物語でした。
ミスブルドーザーと呼ばれていたというエピソードがあるとおり、陽子はPTAの会合で正論をとうとうと述べて母親達から総スカンを食ってしまうのでした。
とは言え、自分のかわいい子供のため孤立無援の中で陽子は戦っていき、少しずつ仲間を増やしていくのでした。
陽子の夫というのが気持ちが優しいだけの男で、いろいろやらかしてくれるので、これも陽子の不満をあおってくるのでした。
まあ、この夫と結婚することになったのも深い事情があるのでしたが。
PTAの役員の大変さはカミさんから話を聞いていたので、描かれていることはいちいちごもっともと思いました。
地域のコミュニティが崩壊しつつある現在、働くお母さん達は大変だろうなあ、とエールを送りたくなりました。
加納朋子の小説と言えば、ミステリー仕掛けになっていて、章ごとに謎解きがあることが多いのですが、この本にはそういう仕掛けはありませんでした。
それだけ、この小説でワーキングマザーの実情を描きたかったのかもしれません。
宮部みゆきのぱんぷくりんを読みました。
宮部みゆきが七福神や招き猫といった縁起物を題材にして作った物語に、黒鉄ヒロシが絵を描いた絵本でした。
宝の船のテンプク、招き猫の肩こり、鳥居の引っ越し、ふるさとに帰った竜、怒りん坊のだるま、金平糖と流れ星の6つのほんわかな物語が描かれています。
「ぱんぷくりん」な気持ちが届きますように、と書かれていました。
ちょっぴり疲れた心に、じんわりと幸せな気分が広がります。
藤島康介のああっ女神さまっ 40を読みました。
ああっ女神さまっの連載21周年記念号でした。
巻頭に第1巻からの登場人物のリストが載っていたり、巻末に読者からのお便りが載っていたりとサービス満点です。
初期の頃に比べるとベルダンディも他の女神達もきれいになったなあ、と思ってしまうのでした。
夏海公司のなれる!SE 4を読みました。
誰でもできる?プロジェクト管理という副題のついた、なれる!SEシリーズの4冊目です。
期限もリソースも考えずにダボハゼのように仕事を取ってきて、担当者に無茶振りする社長のいる最悪なIT会社に就職した桜坂工兵のSE残酷物語の4冊目でした。
まだ入社して4ヶ月の工兵はあるプロジェクトのメンバとしてキックオフミーティングに参加するのですが、そのプロジェクトは管理がめちゃくちゃで期間内に完了する見込みもなく、雇われPMは逃亡してしまいます。
工兵の会社の社長は、うちには優秀なPMがいますから、と仕事を請け負ってしまい、工兵に無茶振りしてくるのでした。
プロジェクト管理とは何か、ということも知らない工兵はプロジェクト管理の参考書を読み始めるのでした。
まあ、ラノベなので、工兵の努力は報われ、いろいろな偶然も重なってめでたしめでたしとなるのでした。
この作者は、桜坂工兵をSEというよりは、理想的な管理者の卵として描いているような気がします。
いままでにやったことのない仕事が振られてもどん欲に仕事の仕方を学んでいく、仕事の達成のシステムに興味があって学ぶことが楽しい、同僚やお客様と人間関係を良好に築くことができる、ステークフォルダーに理を説いて説得することができる、いざとなったら目的を達成するために自分や同僚に負荷をかけることができる。
私の周りにもこういう人はいて順調に出世していますね。
konnok自身はそうじゃないのが困りものですが。
内田樹の街場のアメリカ論を読みました。
現在の日本はアメリカの大きな影響下にあるので、現在の日本を考えるためにはアメリカについて考える必要がある。
そのために素人の立場からアメリカ論を書いてみよう、というエッセイでした。
歴史を振り返るときに、歴史の転換点でなぜこうなったのか、という視点だけでなく、他の可能性もあったのに、なぜそれらの可能性は実現しなかったのか、という視点でも考えてみようという質問の立て方で議論されています。
アメリカの影響下にあって、日本人が利益を得ている部分は大きいけれど、アメリカ自体でも問題が顕在化しているような事柄まで取り込んでしまう傾向があるのはいかがなものか、と感じました。
例えば、訴訟社会(自分の権利だけを声高に主張する社会)、子供嫌いの文化、自分の体の感覚ではなく理念が先になる文化、格差社会、などなど
日本人の資質として残したいもの(これは一人一人の考え方で違いはあるんだろうけど)を残していきたいものだなあ、と思いました。
有川浩の別冊図書館戦争セカンドを読みました。
図書館戦争シリーズの別冊その2でした。
別冊その1は堂上と郁の物語だったので、別冊その2は柴崎と手塚の物語をメインに玄田と折口のエピソードが追加されるくらいかな、と思っていたのですが、ほぼ想定通りでした。
まあ、緒形のエピソードが出てくるとは思いませんでしたが。
柴崎が主人公の物語だと一筋縄では行かないだろうなとは思っていましたが、ちょっと気持ちの悪い物語になっていました。
後書きで、有川浩のだんなさんが後味が悪いから口直しにシアワセな描写を追加してほしい、と言っていた、というのは納得します。
まあ、郁の物語を甘い栗鹿の子とすれば、柴崎の物語はちょっとしょっぱい塩まんじゅうというところで、それぞれおいしく楽しみました。
読み終えて、ああ、これで図書隊堂上班の物語も終わりだなあ、とちょっと切なくなりました。
宮部みゆきのドリームバスター4を読みました。
地球の一般人が見る夢の世界に接続して、人間の見ている夢に入り込むことができるテーラという異次元の世界を舞台にした物語、ドリームバスターのシリーズ4冊目でした。
テーラのドリームバスター、17歳のシェン、筋肉おじさんのマエストロなどが地球の人間が見ている夢の中に入り込んで悪夢を解決します。
今回の舞台は時間鉱山、賽の河原のように現世と黄泉の国の間にある世界で、交通事故にあって生死の間をさまよっているヒロムと、自殺サイトで知り合って心中を図ったユキオとキエの3人が、シェンともう一人のドリームバスター、マッキーの助けを借りて現世への出口を目指して冒険していきます。
今回はあまり地球での物語はなく、時間鉱山の中だけの冒険譚になってしまったので、ちょっと物足りなく感じました。
夏海公司のなれる!SE 3を読みました。
失敗しない?提案活動という副題のついた、なれる!SEシリーズの3冊目です。
設立5年目の弱小IT会社に就職した桜坂工兵のSE残酷物語の続編でした。
まだ入社して3ヶ月の工兵はひょんなことから大企業の提案活動をしなければならなくなります。
ノウハウも経験もない提案活動、大規模な機器調達やネットワーク構築の提案書を作ることができるのか。
そして、受注を勝ち取ることができるのか。
まあ、ラノベなので、立華や梢やカモメさんが活躍してめでたしめでたしとなるのでした。
今作でもカモメさんの隠された姿が現れて、正体は何者なのかどんどんわからなくなってきます。
自分が休みの日に自分の席に監視カメラをかけておくなんてのは、常軌を逸しています。
それにひっかかる工兵も工兵なのですが。
工兵が就職したのはブラック企業という設定なので、読む前はマル暴のシノギ管理システムのような反社会的な開発を請け負う会社かと思っていました。
でも小説を読んでみると、かなり誇張されてはいるものの、会社としては普通の会社で、社員の作業管理がメチャクチャなだけなんですよね。
まあ、そんな感想を持つこと自体が、この業界に毒されているということなのかもしれませんが。
松久純+田中渉のラブコメを読みました。
花屋の店長をしている松田真紀恵は、さっぱりした性格の気っ風のよい女性です。
アルバイト店員涼子との松田花店劇場(下ネタ入り)は面白く演じているのですが、花屋の仕事が忙しくて男性との出会いが無いことが悩みです。
もう一人の主人公の脚本家の村田美晴は几帳面で気の弱い男で、自分の少年時代に好きだった女性(真紀恵です)との思い出を題材にしたアニメを作成中です。
このアニメの内容と実生活での二人のやりとりが交互に物語られていきます。
真紀恵の姉や、アルバイト店員の涼子、美晴の親友で売れっ子声優の西島、美晴の仕事仲間の法子、会員制バー・アモーレの長男・次男・三男など、脇役で登場する人物達も魅力的で、語り口も良いので物語に引き込まれます。
小説の構成がアニメ映画のようになっていて、最初にタイトル画面、最後にエンドロールがあるのもいい感じです。
終盤、真紀恵と美晴がよりを戻すまでの顛末がちょっと冗長だなあ、と感じたこと、美晴に片思いをしているかわいそうな法子(ファンです)の出番が少なかったこと、を除くと、とても面白く読みました。
小川糸の食堂かたつむりを読みました。
15歳で家を出て、東京でレストランのアルバイトをしていた倫子は、同棲していた男に全てを持ち去られ、ショックのあまり声を失い、失意のうちにおかんの家に帰るのでした。
おかんの家の近くに倫子が開店した食堂かたつむりは、決まったメニューを決めず、1日1組のお客様だけにオーダーメイドの料理を提供するレストランなのでした。
食堂かたつむりで食事をすると願いがかなう、という噂がたってお客も少しずつ増えてくるのでした。
おかんや近所の人たちとのあたたかい交流の中で、倫子は食堂かたつむりを続け、おかんの病死をものりこえて成長していくのでした。
この小説も料理の小説なので、料理をしたことのないkonnokとしては、ピンとこないこともあります。
おかんのこの世の別れにあたって、飼い豚のエルメスを屠って料理するところは、遊牧民だったら当然の感覚なのでしょうが、私にはちょっとよくわかりませんでした。
小路幸也のマイ・ブルー・ヘブン(東京バンドワゴン)を読みました。
一昔前のホームドラマ東京バンドワゴンの3時間ワイド特別編でした。
舞台は終戦直後の東京バンドワゴン。
本編ではナレーションをしているサチが、終戦直後に勘一のところに嫁いでくるまでの顛末が物語られていきます。
本編では昔の人として語られる草平や、近所の古い友人として現れるかずみなどが生き生きと描かれています。
勘一の学歴や芸術面の隠された一面なども、お披露目されています。
本編では高齢になってしまった登場人物達にも若い頃があって、それぞれ青春時代を生きていたんだ、ということがとてもうれしく感じられる物語でした。
夏海公司のなれる!SE2を読みました。
基礎から学ぶ?運用構築という副題のついた、なれる!SEシリーズの2冊目です。
見かけは女子中学生で性格は子供の室見立華に厳しく鍛えられる新入社員桜坂工兵の「萌えるSE残酷物語」です。
2冊目では、見かけは小動物系で室見の天敵である姪乃浜梢が登場し、工兵はシステムエンジニアリング部と運用サービス部の対立に巻き込まれてしまうのでした。
立華と梢の板挟みになってしまった、工兵の明日はどっちだ!
小説とは関係がないのですが、うちの担当でも立華や梢のような無茶振りしても仕事をこなしてくれるデキるSEがいるといいなあ。
内田樹の「おじさん」的思考を読みました。
10年前に内田樹が自分の意見をまとめたエッセイ集でした。
学校で学ぶべきことは、知識ではなく、学ぶためのみちすじである。
自分の中にピュアな自分自身が存在するというのは幻想であり、いろいろな弊害をもたらしている。
破局が起きている中では、平常心の人を信じるな。
学校に信頼や畏敬を持っていない親たちがイタい子供達を生み出している。
というような主張が述べられています。
マスコミや政府が主張していることで、何となく変だなあ、おかしいような気がするなあ、と感じていることを一刀両断で解説しているので、読んでいてすっきりします。
後半は夏目漱石の小説の解釈になっていますが、漱石の小説を読んだのはずいぶん昔なので、もう一度読み直してみようかなあ、と思いました
小路幸也のスタンド・バイ・ミー(東京バンドワゴン)を読みました。
一昔前のホームドラマ東京バンドワゴンの3クール目でした。
登場人物たちの会話や行動が昔のホームドラマのようで、安心して物語を追うことができます。
ちょっとはミステリの味付けもされていますが、それよりは勘一、我南人、藍子、紺、青の家族とその子供たち、近所の人たちとの暖かい交流の物語が楽しめます。
この物語に出てくるボードゲームや本(絵本で羊男のクリスマスが登場するのはしぶい)も私の趣味に近くて気に入っています。
萩原規子の樹上のゆりかごを読みました。
伝統のある名門高校に通う女子高校生が主人公のミステリでした。
高校に存在する「名前のない顔のないもの」を感じ、誘われるままに生徒会活動に参加し、ある事件が起こってしまって阻止できなかったことに苦悩する、女子高校生の1年が描かれていきます。
この本を紹介してくれた人は、あの頃を思い出す、と書いていたのですが、konnok的には名門高校も若い女性の感じ方も実感がなく、想像することしかできないので、感想はちょっとイマイチとなってしまいます。
小説としては読みやすくてよかったのですが。
夏海公司のなれる!SEを読みました。
就職するときに「SEにだけはなるな」とゼミの教授に言われました、と後書きにあるように、自分の体験をもとにしたSE残酷物語でした。
小さなSE会社に就職した桜坂工兵は意気揚々と出社したのですが、見かけはかわいい女の子なのに性格は攻撃的で傍若無人、そのくせ技術的なスキルは高いという室見立華にOJTという名目でさんざん鍛えられるのでした。
桜坂工兵と室見立華の掛け合いは、キョンと涼宮ハルヒの掛け合いのように、工兵から見ると翻弄されているばかりなのに、なぜか立華を憎めない工兵なのでした。
物語の中のサーバー名はツナとかマグロとかイクラとか、寿司のネタなんですよね、というのは、たまたま私の職場と同じで、どこでも考えることは同じだなあ、と思ってしまいました。
そういえば、軍人将棋では工兵は他のすべての駒に負けるのですが、地雷にだけは勝つんでしたね。
この物語でも最初に工兵が地雷を踏んでしまったのは、そういうオチだったのでしょうか。
冲方丁のマルドゥック・スクランブル(圧縮)を読みました。
SF的な未来世界でのバイオレンス活劇でした。
読んでみた感想としては、ストーリーがすっと入ってこない物語だなあ、と感じました。
随所にカタカナ英語のルビがふってあったり、傍点がふってあったりするのも読みにくさを助長しているのですが、それだけでなく登場人物たちが記号のような感じがしました。
生きている人間の物語ではないような感じがしたのでした。
物語の内容としては平井和正の小説に近いと感じたのですが、平井和正の小説ではそのような読みにくさは感じなかったように思います。
私が平井和正を好きで読んでいたのは20代だったので、今読んだらまた違うのかもしれませんが。
有川浩の別冊図書館戦争ファーストを読みました。
図書館戦争シリーズの別冊その1でした。
図書館戦争のラストでは当麻事件のあと、すぐに堂上と郁が結婚した後のエピソードになってしまうので、物足りなく感じていた人もいたと思いますが、ベタ甘ラブコメの名に恥じず、別冊では堂上と郁の恋愛の進捗状況が描かれていきます。
まあ、鯛焼きから外側の衣の部分を外して、中の甘いあんこだけを出されたような小説なので、好き嫌いは別れると思いますが、甘党には堪えられないおいしさでした。
小路幸也のシー・ラブズ・ユー(東京バンドワゴン)を読みました。
一昔前のホームドラマ東京バンドワゴンの2クール目でした。
後書きに「あの頃、たくさんの涙と笑いをお茶の間に届けてくれたテレビドラマへ」と書かれているとおり、4世代が同居する大家族でいろいろな事件が起き、それを家族の協力で解決していくという物語でした。
謎解きも楽しいですが、世代の違う登場人物たちの会話も楽しく読むことができます。
番組の組み立てが目に見えるような配役とナレーションもいい味を出しています。
森見富美彦のペンギン・ハイウェイを読みました。
小学4年生のアオヤマ君とハマモトさん、ウチダ君の3人はいろいろなことを研究している。
近所の小川の上流がどこまで続いているのか研究しているし、突然ペンギンが現れたり、森の中の空き地に透明な球形の物体が浮かんでいたり、というような不思議な出来事も研究している。
それだけでなく、アオヤマ君を「元気か、少年」と呼ぶ歯科医院の看護師のお姉さんのおっぱいも研究しているし、いじめっ子のスズキ君が皇帝のスズキ君帝国も研究している。
少年の視点から見た日常の生活と、彼が出会う不思議な出来事によって、物語が語られていきます。
最後の謎解きはちょっともの足りませんでしたが、アオヤマ君のことが忘れられなくなる物語でした。
木地雅映子の氷の海のガレオン/オルタを読みました。
学校というシステムに組み込まれることに違和感を覚える子供たちが主人公の物語でした。
彼らの主張は確かに論理的で痛快なのですが、凡人にはまねが出来ません。
子供たちだけでなく、登場する大人たちも変わっている人たちですが、物語は面白く読むことが出来ました。
こういう感性からマイナークラブハウスへようこそのシリーズが書かれるんだなあ、と思ったのでした。
江國香織の間宮兄弟を読みました。
江國香織というと都会的な洗練された女性を描いた作品が多いので、こういう変わった兄弟を描いた作品も書くんだなあ、と思いました。
konnokも、もてない引っ込み思案な男なので、間宮兄弟には感情移入してしまいます。
あとがきで「快適に愉快に暮らすことは有意義です。例え世間から多少「へん」に思われても。」と江國香織が書いているように、自分たちが満ち足りていればそれでいいはずなのですが、なかなかそう言うわけにも行きません。
ふた昔ほど前なら、お節介なおじさんおばさんの世話で、間宮兄弟のような人たちも結婚して幸せに暮らせたんだと思いますが、今の世の中は、選択の自由があるので事はうまく運びません。
彼らと触れあった女性たちの琴線にふれる兄弟の行動に喝采を送ってしまいます。
藤島康介のああっ女神さまっ37〜39を読みました。
私は最近ほとんどコミックは読まないのですが、なぜか、ああっ女神さまっだけは、ずっと読み続けています。
とは言え、書店では買わずに古本屋で出ていたら買って読むという程度ですが。
ノルンの女神たちがコミカルに活躍する様子を読んでいると、ひとときのやすらぎを覚えます。
辻村深月の凍りのくじらを読みました。
写真家の父が失踪してしまい、癌に冒されてしまった母と暮らしている高校生芦沢理帆子の物語でした。
章の名前は藤子不二雄のドラえもんのアイテムがモチーフになっています。
理帆子は自分は頭がいいと同級生を見下していながらもそつなくつきあっていくという女の子で、甘やかされて育った美形だけど幼い無責任な大学生とつきあっています。
そんな理帆子の前に包容力のある不思議な高校生が現れて物語が進んでいきます。
最初は、理帆子の行動が気に入らず読むのを中断しようかとも思いましたが、我慢して読んでいくと、不思議な高校生とのドラえもんに関する会話から理帆子の内面が現れてきて、だんだん面白くなってきました。
そして、終盤に明かされるトリックには驚きました。
理帆子はその光に照らされたことにより、写真家の道を歩んでいくことになるのでした。
小路幸也の東京バンドワゴンを読みました。
一昔前のホームドラマのような、頑固おやじと多世代が同居する家族の物語でした。
明治から続く古本屋の主人勘一、その息子で60歳になる現役のロッカー我南人、我南人の長女、長男、我南人と愛人の子、そしてその子供たち、それに近所の人たちがからんでにぎやかな物語になっています。
ナレーションは数年前に亡くなった勘一の妻サチ(の幽霊)で、サチの視点がテレビカメラのように物語を描いていきます。
ミステリーの味付けもあり、ほろりとさせられるエピソードもあり、面白く読むことが出来ました。
続編も出ているようなので、そのうち読んでみることにしましょう。
サイモン・シンのフェルマーの最終定理を読みました。
「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」とフェルマーが書き残した定理に対する3世紀にわたる世界中の数学者の苦闘が描かれています。
ピタゴラス、ユークリッド、ディオファントス、オイラー、パスカル、ガウス、ヒルベルト、ゲーデル、ガロア、カントール、ラッセル、チューリングと言った、初歩の数学でも名前が出てくる偉大な数学者たちの逸話とそれらの業績がどのようにフェルマーの最終定理に関連するのか、ということが解説されています。
そして、ワイルズによりフェルマーの最終定理が証明されたことにより、数学にどのような貢献があったのかも解説されています。
まあ、若い頃にガロアの理論を理解してみようと参考書を買って読んでみたけど結局挫折してしまった、というレベルではこの証明の本質は理解できるはずもないのですが、何となく分かった気にさせられる解説がすごいと思いました。
この本を読んで、20年前に読んで気に入っていたゲーデル、エッシャー、バッハという本を読み直したいなあ、と思い、物置に積んである古い本を探してみましたが、見つけることが出来ませんでした。
我慢しきれずamazonでポチッと注文してしまいました。
時雨沢恵一のキノの旅を読みました。
主人公キノと言葉を話す二輪車のエルメスがいくつかの国を旅するという物語でした。
それぞれの国の出来事については、こういう前提条件だと結果としてこうなる、という思考実験のようなお話になっています。
星新一のショートショートのような味わいを感じました。
そのお話を下敷きに、キノとエルメスの会話やその国民との会話が描かれていて、読みやすい物語になっています。
とは言え、ふわふわした軽い物語なので、おじさん読者としてはちょっともの足りませんでした。
そう感じられるのは、人間の臭いがしない物語だからでしょうか。
武田泰淳の十三妹を読みました。
中国の女傑十三妹(シイサンメイ)の物語を講談のような語り口で語った小説でした。
美人の忍者十三妹と富豪の息子のぼんぼん安公子、忍者の白玉堂こと錦毛鼠が登場する清の時代の中国の物語でした。
手に汗握る物語なのかも知れませんが、講談調で語られるのであまり感情移入は出来ませんでした。
やはり40年以上前の小説だからでしょうか。
岩波明の心に狂いが生じるときを読みました。
精神科医の症例報告という副題のついた、精神疾患の症例の解説でした。
依存症、統合失調症、摂食障害、精神病質(サイコパス)、アルツハイマー病、うつ病、強迫神経症、といった各種の精神疾患の症例が解説されています。
また、裁判員制度が導入された時に話題となった精神鑑定の質の問題、司法と精神鑑定の関連についても解説されています。
このレポートを読んで、konnokが一番気になったのは、うつ病とそれに起因する自殺が最近増加の傾向にあるという指摘でした。
日本の社会は異端となることを許容しない社会である。
取り残され、落ちこぼれていく人々に対して日本の社会はなかなか救いの手をさしのべない。
終身雇用制が崩壊して雇用の安定性が失われた上、成果主義の名の下に過重な労働を強いられる状況になっている。
このことが過重なストレスからくるうつ病を増加させている、という主張は考えさせられました。
有川浩の図書館革命を読みました。
図書館戦争シリーズの最終巻でした。
テロがその作品を模倣したと言うことで、メディア良化委員会は当麻蔵人の身柄の確保に走ります。
図書隊は逆に言論の自由を守るために当麻蔵人をメディア良化委員会に奪われてはならずと、抗争が始まります。
図書隊は言論の自由を守ることが出来るのでしょうか。
その最後の切り札は堂上と郁にまかされるのでした。
図書館戦争の物語も大団円を迎えて、堂上の怪我も何とか持ちこたえ、堂上と郁も結ばれたのでした。
柴崎や小牧、手塚など魅力的な登場人物たちが物語の中で活躍します。
最後まで手に汗握る物語なのに、ツッコミどころ、笑いどころもしっかり準備されていて楽しめました。
また、差別語に対する視点も大胆に語られていて、それについても共感しました。
もう2冊文庫の別冊が出る予定のようなので、楽しみに待つことにしましょう。
ジェイムズ・P・ホーガンの巨人たちの星を読みました。
星を継ぐものの3作目でした。
ガニメアンと人間は友好のうちに交流してガニメアンたちは新たな母星系である巨人たちの星を目指して旅立ちました。
ところが、人間とガニメアンの他に地球を監視している者たちがいたのでした...
相変わらずおもしろい謎解きの展開で楽しめました。
ところが、物語の後半は謎解き中心の物語からがらっとタッチが変わってしまい、SF戦争ものになってしまいました。
これはこれで面白かったのですが、ちょっと驚きました。
最後の終わり方もちょっとイマイチかなぁ、とも思いましたが、1作目2作目で提示されていた謎がすっきり解決されていたので、まあ満足でした。
角田光代のドラママチを読みました。
中央線沿線の架空の駅に住む30代から40代の女性達の悩みや生き方を描いた短編集でした。
それぞれの女性達の悩みは多様ですが、自分が思い描く理想の姿と現実の自分とのギャップに悩んでいるのは同じです。
みんな、ちょっとした変化が自分を変えてくれることを待っているのですが、それを与えられることはないのでした。
枯れたおじさんの感想としては、そんな理想なんか捨ててしまって現実を見て生きたら楽になるのになあ、と思ってしまったのでしたが。
城山三郎のそうか、もう君はいないのかを読みました。
城山三郎が自分の妻との出会い、新婚時代、子育ての時代、そして別れまでを書いたエッセイでした。
城山三郎の奥さんに対する愛情がにじみ出してくる文章を読んで、こういう夫婦だったらいいなあ、と思ってしまいました。
ふと、亡くなった奥さんに話しかけようとしてしまい、それに気づいてもなお、奥さんに「そうか、もう君はいないのか」と話しかけてしまう、というくだりが心を打つのでした。
ジェイムズ・P・ホーガンのガニメデの優しい巨人を読みました。
星を継ぐものの続編でした。
前作では、月で発見された5万年前の人間のミイラから、人間の祖先がどこから来たのか、ということが解明されていきます。
その設定の大胆さ、論理構成の緻密さから、物語を面白く読むことができました。
そして、今作では、ガニメデで発見された2500万年前の宇宙船から火星と木星の間にかつて存在した惑星で繁栄した文明がどのようなものかが解明されようとします。
驚くべき事に、2500万年前から相対性理論の壁を越えてその文明の住人達が現在の太陽系に戻ってきます。
そして、その宇宙人と人間の接触により、人間は自分たちの出自を再度考えることになるのでした。
このシリーズの3作目も購入したので、そのうち読んでみることにします。
有川浩の塩の街を読みました。
旧約聖書で、ロトの妻がソドムとゴモラを振り返ってしまったために塩の柱になってしまった、というエピソードを下敷きにしたSFラブコメディでした。
有川浩の処女作本編とその後のエピソードを書いた短編4つから構成されています。
好きな人を失う代わりに世界が救われるのと、好きな人と一緒に世界の終末を迎えるのではどちらがいいか、というテーマで、自衛隊を辞めた三十路の青年と女子高校生のラブコメディが描かれていきます。
有川浩が「書きたいように書こう」と思って書いたというとおり、勢いのある物語であっという間に読み終えてしまいます。
この物語を読んで、この人の物語の魅力はやはり登場人物達の丁々発止の会話なんだなあ、と思いました。
その人物なら、きっとそう言うはずだ、そして相方はこう切り返すはずだ、ということが的確に描かれているのは登場人物のキャラクターがしっかり立っているからなんでしょうね。
仁木英之の胡蝶の失くし物を読みました。
僕僕先生シリーズの3作目でした。
普段は美少女の姿をしている仙人僕僕と仙縁のある道楽青年王弁が唐の時代を旅するというファンタジーでした。
今回もいろいろな登場人物がいろいろなエピソードを紡ぎ出していて、楽しく読むことができました。
とは言え、僕僕、王弁、吉良、薄妃、劉欣、蚕嬢と旅の仲間もだんだん増えてきて、1作目より大味な物語になってきているように感じます。
次の巻では少しは物語が締まるといいのですが。
森見登美彦のきつねのはなしを読みました。
日常の陰に潜む「魔」を静かな筆致で描いた怪談集でした。
4つの中編はそれぞれ独立した物語ですが、静かな語り口の中に不条理が織り込まれていて、静かな恐怖を感じさせます。
それぞれの物語に共通して登場する、芳蓮堂という怪しげな骨董屋や、細長い形で顔が人間の形をしているケモノ(私は女神転生に登場するイヌガミを連想しました)なども漆黒の雰囲気をかもし出しています。
森見登美彦というと四畳半神話大系に代表される饒舌な語り口の物語を連想しますが、ラヴクラフトばりの恐怖譚も書くんだなあ、と思いました。
私は通勤電車で読んでいるので心配はいりませんが、夜静かに読書する人はトイレに行けなくなるかも知れません。
上橋菜穂子の天と地の守り人(第三部新ヨゴ皇国編)を読みました。
精霊の守り人シリーズの最終章三部作の三巻目でした。
チャグムは新ヨゴ皇国にもどり、父である帝に拝謁します。
そして、光扇京が洪水により流されてしまうと告げるのでした。
帝はその言葉を信じなかったが、チャグムが高台に民を移動させることを禁じもしなかった。
そして、タルシュ帝国の総攻撃が始まったときに、青霧山脈から洪水が押し寄せてきたのでした。
物語の最後はあっさり終わってしまったので、もう少し派手に描かれていても良かったかな、という感じもしました。
とは言え、この最終章でチャグムとバルサ達の長い物語が完結したのでした。
後書きには上橋菜穂子が子供の頃に読んだ指輪物語に触発されてこの物語を書いた、と書かれていました。
このような物語を同時代に読むことができてよかったなあ、というのが率直な感想でした。
上橋菜穂子の天と地の守り人(第二部カンバル王国編)を読みました。
精霊の守り人シリーズの最終章三部作の二巻目でした。
チャグムは雪の峠を越えてカンバル王国に着くことができました。
しかし、ここにもタルシュ帝国のスパイが入り込んでいて、カンバル国王を取り込もうとしていたのでした。
チャグムたちの活躍により、からくもカンバル国王の説得ができて、ロタ王国とカンバル王国の同盟が成立するのでした。
そして、もう一つ重大な事が判明します。
牧童たちの情報では、ナユグ(並行世界)に春が来て、サグ(この世界)の山の雪も融け出しており、新ヨゴ皇国の光扇京も洪水に見舞われるというのです。
チャグムはロタとカンバルの軍勢を率いて、仲間を救うために新ヨゴ皇国に向かうのでした。
そして、バルサは草兵として戦場にかり出されたタンダを探しに行くのでした。
物語は大団円の三巻目に続きます。
上橋菜穂子の天と地の守り人(第一部ロタ王国編)を読みました。
精霊の守り人シリーズの最終章三部作の一巻目でした。
タルシュ帝国はサンガル王国を支配下に置いて、新ヨゴ皇国に魔の手を伸ばしてきます。
このままでは、タルシュ帝国の攻撃により新ヨゴ皇国が滅んでしまいます。
新ヨゴ皇国の皇太子チャグムはタルシュ帝国から命からがら脱出し、ロタ王国、カンバル王国と同盟を組んでタルシュ帝国に対抗するためにロタ王国からカンバル王国に説得の旅をしていきます。
チャグムはタルシュ帝国の放った刺客に命を狙われますが、そこにバルサが追いつき、何とかチャグムを助けることができるのでした。
チャグムはロタ王国、サンガル王国を説得して三国同盟でタルシュ帝国に対抗することができるのでしょうか。
物語は二巻目以降に続きます。
有川浩の図書館危機を読みました。
図書館戦争シリーズの3冊目でした。
第3巻では、王子様の正体を知ってしまった郁のかわいい乙女の悩みが描かれます。
足が速いだけの大女という設定ですが、一途な郁は魅力的な性格だなあ、と読んでいて嬉しくなってしまいます。
とは言え、物語の方は、図書館に出没する盗撮マニアをつかまえたり、昇任試験で子供たちに読み聞かせをしたり、言葉狩りにあった「床屋」という言葉の復権をもくろんだり、といろいろな事件が発生します。
そして、郁の故郷の茨城で図書隊の存続にかかわる大事件が勃発するのでした。
登場人物たちのキャラクターが立っていて、それぞれの掛け合いが楽しい物語なので、第4巻が楽しみです。
内田和成の論点思考を読みました。
BCG流問題設定の技術、という副題のついた課題解決の方法論を解説した本でした。
ドラッカーの「経営における最も重大なあやまちは、間違った答えを出すことではなく、間違った問いに答えることである」というテーマにそって論点(解くべき問題)の決め方が解説されています。
ビジネスにとって重要なことはやることを決めることと、そしてやらないことを決めることだ。
成果を出すためには、筋のよい論点を見つける必要がある。
上司を満足させるには、2ランク上の立場で考える必要がある。
全体を俯瞰する鳥の目と現場に密着して観察する虫の目の両方の視点が必要である。
など、納得できる内容が解説されていました。
コンサルタントの考え方が仕事にも応用できるといいのですが。
有川浩のレインツリーの国を読みました。
図書館内乱という物語の中に登場する小説を実際に書いてしまったという劇中劇ならぬ小説中小説でした。
耳の不自由な少女と健常者の男性の恋という重いテーマを扱っていますが、物語は面白く読むことができました。
主人公は昔読んだ物語の結末に納得できないものを感じていていました。
気が向いてインターネットでその本の話題を探したところ、レインツリーの国というホームページでその本の結末に対する感想が書かれていたのでした。
そのページで知り合った主人公とそのホームページの持ち主の女性は街で会うことになるのですが...
障害を持った女性とそれを理解していこうとする男性、二人のこれからについての希望が描かれています。
昔はそんなことはなかったのですが、いつの頃からか世の中では言葉狩りが定常化してしまい、差別語と判断される可能性のある言葉はことごとく自主規制語として使われなくなりました。
その結果、障害者が小説などに登場することが少なくなり、かえって障害者に対する理解を阻害することになるのではないかと思ってしまいます。
そう言う意味でも、有川浩のこのような挑戦には拍手を送りたいと思いました。
ジェフリー・アーチャーの15のわけあり小説を読みました。
ジェフリー・アーチャーらしいウィットの効いた短編集でした。
それぞれの短編のトリックは面白く楽しみましたが、物語にあまり深みが感じられませんでした。
以前読んで感動した12の意外な結末のユダヤ人神父の物語や、十二本の毒矢の学者夫婦の物語のように、読み終えた後に余韻が残るものがなかったのは残念です。
ところで、ネットで調べてみたらこの2冊も絶版になっているんですね。
気に入っている作家の小説は気が向いたときに手に入れておかないと、と思ったところです。
有川浩の図書館内乱を読みました。
図書館戦争の続編でした。
第2巻では、章ごとにヒロイン笠原郁とその友人柴崎、同僚の手塚などに焦点を絞って登場人物のエピソードからその生い立ちや家庭環境が描かれていきます。
美人で頭の切れるモテモテ柴崎の孤独、成績優秀で家柄も良い手塚の悩み、などが有川浩らしい語り口で語られていきます。
もちろん、郁と堂上の関係だけでなく柴崎の謀略に隠された恋や小牧の暖かい恋、そして玄田と折口の関係など恋愛模様も満開で楽しめます。
第2巻の終わりで郁はあこがれの王子様が誰であるか知ってしまうので、第3巻が待ち遠しくなってしまいます。
有川浩の図書館戦争を読みました。
不良図書の検閲を合法化したメディア良化法が制定されてしまった未来、図書館は本を守るために武装してメディア良化委員会の部隊と戦闘を行っているのでした。
そして、この物語のヒロインの笠原郁は高校生の時にメディア良化委員会の図書の検閲に対抗して本を守ってくれた「王子様」にあこがれて図書隊に志願するのでした。
図書を守るために武装組織が編成されてしまうというぶっ飛んだ設定ですが、有川浩の物語なのでちゃんと恋愛模様が組み込まれているのでした。
また、鬼教官の堂上、美人で情報屋の柴崎、頑なな同期手塚など個性的な脇役たちが物語を盛り上げてくれます。
普通の日本の中で合法的に戦闘が行われているという設定は、三崎亜紀のとなり町戦争を連想させますが、それよりはわかりやすい設定になっています。
続編も続いて刊行されているので、順番に読んでいくことにしましょう。
この物語はフィクションなのですが、東京都で本の検閲の条例が成立してしまったりしているので、他人事ではないんだよな、と思ってしまいます。
海堂尊の極北クレイマーを読みました。
北海道にある財政破綻に瀕した地方自治体の市立病院を舞台にした、現在の医療の問題点を描いた小説でした。
桜宮サーガの外伝的な物語でしょうか。
物語としては、いろいろな問題が提起されていますが、それらは何ら解決されないまま物語が終わってしまうので、ちょっと消化不良になります。
物語の中に日本医療業務機能評価機構という病院業務を審査する組織が描かれています。
この小説では、お金を巻き上げるだけの悪役として描かれていますが、資金的に余裕がある病院でこのような対応をしていれば、この物語の三枝医師のような医療事故で逮捕されてしまうと言うような事態は回避されたかもしれないなあ、と思ってしまいました。
医療の実務には全く役に立ちませんが、組織を守るという意味では有効かもしれません。
姫宮女史は今回は皮膚科の医師として颯爽と物語に登場します。
この人の名前は香織さんということを初めて知りました。
物語の中で語られる以下の寓話が心に残りました。
地獄ではおいしい料理は出されるのだが、長い箸が用意されている。
料理は目の前にあるのに、自分で食べようとしても箸が長すぎて食べられない。
天国でもおいしい料理が出されていて、長い箸が用意されている。
でもここでは、それぞれ他人に食べさせてあげるので、みんな満腹できる。
自分の権利だけを声高に主張する人がはびこれば、その結果として医療に真面目に従事する人が減ってしまい、結果としてサービスレベルが落ちてしまうことになる、という主張でした。
有川浩のクジラの彼を読みました。
いい大人がベタ甘ラブロマ好きで何が悪い、と開き直って書かれた、自衛隊ラブロマンス短編集でした。
収録された6編のうち3編は空の中と海の底の番外編になっていて、本編と併せて読むと楽しみが倍増します。
有川浩が描く登場人物たちはみんな気持ちがまっすぐで、ぎこちないベタ甘なやりとりが楽しめます。
万城目学のプリンセス・トヨトミを読みました。
大阪には他の地域の人には知られていない秘密がある。
それは、大阪城にまつわる豊臣秀吉の末裔を守るために、大阪の男たちに代々伝えられている秘密なのだった。
鴨川ホルモーほどぶっ飛んではいませんが、これも本当に大きなホラ話です。
大阪の小学生、真田大輔と橋場茶子の二人が一方の主人公(名前の付け方にも隠された意図がありますね)、そしてもう一方は大阪府を監査する会計検査院3人組、それぞれが相互に絡んで大阪のお話が進んでいきます。
最後には、登場人物の大部分が大阪に関連していた、というオチでお話は丸く収まるのでした。
普段は全くその情報が公開されていないにもかかわらず、いったん事が起きると数百万の人間がピタゴラスイッチのように動くというシステムが実現可能なんだろうか、というのがこの物語を読んで疑問に思った事柄でした。
浅田次郎の壬生義士伝を読みました。
南部藩を脱藩して新撰組に入った吉村貫一郎の壮絶な生涯を描いた小説でした。
吉村貫一郎は、剣術の腕も立ち、学問も優秀なのにもかかわらず、妻子を養うために新撰組に入り、そこで得たお金は国元の妻子に送ると言う生活をしていました。
そして、新撰組が逆賊となってしまった後は、義のために戦ったのでした。
貫一郎の幼なじみで南部藩の勘定方の大野次郎右衛門や新撰組の同志たちの生き方、貫一郎と次郎右衛門の子供たちのその後のことを、生き残った人たちから話を聞くという形式で、物語が描かれていきます。
貫一郎が何度も「おもさげなす」(申し訳ないですが)と言わなければならなかった事情、そして貫一郎にかかわった人たちの中に刻み込まれた思いが胸に残ります。
昨年の秋、盛岡に旅行したときに盛岡に赴任したことのある人が、名所を案内してくれました。
石割桜や宮沢賢治のゆかりの場所などと一緒に、これが壬生義士伝に出てくる擬宝珠ですよ、と紹介してもらったのでした。
その近くには、壬生義士伝を紹介する石碑もあったのでした。
盛岡の人は岩手山をふるさとの景色として自慢するということも、その時に聞いたのでしたが、この物語を読んでなるほどなと納得したのでした。
小山薫堂の恋する日本語を読みました。
いつも気にせず読み飛ばしていることばには、それぞれに深みのある意味が込められている、ということを紹介した本でした。
例えば「刹那」ということばには、短い時間というだけでなく、心が動く時間という意味を含んでいるのでした。
そう言われてみれば、このことばはそういう意味で使われているよな、と納得するのでした。
収録されている35個のことばの中には初めて聞いたことばもあり、読みは知っていてもこういう漢字が使われているんだ、と思ったものもありました。
日本語というのは奥深い言語だなあ、とあらためて思ったのでした。
有川浩の海の底を読みました。
横須賀に来襲した巨大ザリガニの大群とそれを封じ込めようとする神奈川県警の苦闘を描いたSF小説でした。
そして、米軍基地の中に停留していた自衛隊の潜水艦に二人の新人自衛官と十数人の子供たちが閉じ込められてしまいます。
子供たちの中の年長の女子高校生は両親を事故で失うというつらい経験をしていて、弟はその時のショックで言葉を話せなくなってしまっていました。
子供たちの中にも母親にスポイルされた子供がいて、いろいろな問題を起こします。
そして、紆余曲折ののち自衛隊の出動後に巨大ザリガニたちはあっさりと駆逐されてしまうのでした。
夏木と冬原という二人の新人自衛官が規格外の人物で魅力的に描かれているので、引き込まれて読んでしまいました。
ただし、甲殻類が嫌いな人には無理におすすめはしません。(ね、草場さん)
三崎亜記の鼓笛隊の襲来を読みました。
普段の生活に潜んでいる、しかしふとしたことから現れる不条理を描いた短編集でした。
三崎亜紀流の物語を読んでいると、それらの不条理が実はそこかしこに存在しているような気がしてきます。
「鼓笛隊の襲来」は読んでいくうちにデジャブを感じたので、多分どこかで読んだことがあったのでしょうか。
もし初めて読んだのにそう感じるのなら、三崎亜紀とkonnokは同じような民話や伝承、幻想を共有しているのかもしれません。
この短編集でも、失われた町のように、不可思議な事故によって親しい人を失ってしまう、という物語が多いような気がしました。
この人の作風なのでしょうか。
ジェフリー・アーチャーの遥かなる未踏峰を読みました。
イギリスの登山家ジョージ・マロリーの生涯を描いた冒険小説でした。
世界初のエベレスト登頂に挑戦したジョージの栄光と挫折が描かれています。
命を賭しても成し遂げるべき事業があるのだ、と言う信念のもと、ジョージは2度にわたってエベレスト登頂に挑戦します。
なぜ山に登るのですか、と訊かれて「そこに山があるからだ」と答えたジョージの信念に満ちた一生が描かれています。
愛妻家でもあったジョージはエベレストの頂上に妻の写真を置くことを目標に頂上を目指すのですが、ベースキャンプに戻ることは出来ず遭難してしまったのでした。
読み終えた後に、暖かい余韻の残る物語でした。
有川浩のシアター!2を読みました。
シアター!の続編で、2年間で300万円の借金が返せなければ解散させられてしまう劇団「シアターフラッグ」の物語でした。
第2回目、第3回目の公演を行って、少しずつながら借金が減っていきますが、まだまだ2年での完済は難しい状況です。
とは言え、鉄血宰相の司が制作を仕切ることによって劇団は少しずつ変わっていくのでした。
この巻では、有川浩お得意の登場人物たちの恋愛も描かれていて、特徴ある登場人物たちの行動とそれぞれのカップルの恋愛がどこに行くのかも楽しみです。
残り2回の公演を残して、やっと半分借金を返すことが出来た「シアターフラッグ」の明日はどっちだ!?
さて、後書きを読むと第3巻で完結する予定とのことで、早く完結編が出ないかな、と待ち遠しくなります。
誉田哲也の武士道セブンティーンを読みました。
武士道シックスティーンの続編でした。
今作でも、勝負にこだわる激しい剣道の磯山香織と、柔よく剛を制すお気楽不動心の西荻(甲本)早苗が、交互に物語を紡いでいきます。
前作の最後で親の都合により、早苗が神奈川から福岡に引っ越すことになり、東松剣道部から福岡南剣道部に編入することになります。
そして、福岡南で出会った黒岩レナがからんで物語が進んでいきます。
前作と同じように、香織と早苗は自分の剣道とは何か、武士道とは何かということに悩みながらだんだん上達していくのでした。
ぶっきらぼうで紋切り型の香織の文体と女の子の会話そのままの早苗の文体のコントラストも楽しい物語でした。
完結編の武士道エイティーンが待ち遠しい。
有川浩のシアター!を読みました。
劇団「シアターフラッグ」は300万円の借金によって、解散寸前に追い込まれます。
「シアターフラッグ」の泣き虫主宰の春川巧は兄の司に借金を申し込みます。
そして、司は「2年間で300万円の借金が返せなければ劇団を解散する」と言う条件で金を貸すことになりました。
鉄血宰相の春川司がお金の管理も行って運営することにより「シアターフラッグ」は経営的に成り立つ劇団になることができるのか?
鉄面皮のように行動する春川司は実は小さい頃いじめられっ子だった春川巧を支援したいと思っていたり、弱小劇団に舞い降りてきた売れっ子声優の羽田千歳に看板女優の早瀬牧子は複雑な思いを向けていたり、と人間関係も複雑に絡み合って面白い物語に仕上がっています。
いろいろアクシデントはあったものの、まずは、第1回目の公演を赤字を出さずに乗り切った「シアターフラッグ」の明日はどっちだ!?
有川浩らしいテンポの良い語り口で物語に引き込まれていきます。
1巻目はまだ恋愛模様は密かに示唆されているだけですが、2巻目以降はどうなるのでしょうか。楽しみです。
マイクル・フリンの異星人の郷を読みました。
14世紀のドイツの小村に宇宙船に乗って時空を超えてきた異星人が不時着します。
外見はバッタによく似ている異星人とホッフォバルトという村の神父との交流が描かれています。
異星人は宇宙船を修理して自分の故郷の星にもどろうとしますが、部品が手に入らないために、挫折してしまいます。
そして、地球の食物にはその宇宙人が必要とするアミノ酸の一種が不足しているため異星人たちはだんだん衰弱していくのでした。
ヨーロッパにペストが流行したこの時期、ホッフォバルトの住民もペストから逃れることはできず、その村は滅んでしまうのでした。
そして、その村はその後歴史から消え去ってしまうのでしたが、現在のフィラデルフィアの歴史学者が歴史資料から異星人の存在を発掘するのでした。
読んでみた感想ですが、14世紀のドイツの史実やその時期のキリスト教の状況などを下敷きに物語が語られていくので、基礎知識がない状態だと物語が追いにくい、と感じました。
異星人の考え方や行動も何となく納得感に欠けるように感じられてしまいました。
私が考える異星人との交流というのは、アンドレイ・タルコフスキーの映画、惑星ソラリスやストーカーなどのように人間の理解を超えているものだ、という感覚があるからかもしれません。
山下貴光の屋上ミサイルを読みました。
国内総生産は世界一という大国(まあ、アメリカのことですね)の大統領がテロリスト集団に拉致されて、しかもミサイル軍事基地まで乗っ取られてしまった、という全世界的に危機的な状況の中で、高校の屋上で出会った高校生4人が活躍する青春ミステリーでした。
失策の多い愛妻家の殺し屋とか、トンネルの中で死んだ人と会える罰神とか、ロックの神様とか、一癖ある警官とかいろいろな登場人物たちが登場しますが、それらの登場人物たちの会話が面白いので、どんどん引き込まれてしまいます。
伏線の張られたいろいろな謎は互いに関連していることが判明して、最後には主人公たちの活躍でちゃんと解決するのですが、謎解きよりも会話のセンスが光る物語でした。
米澤穂信のインシテミルを読みました。
時給10万円の「人文科学的実験」に応募した12人の被験者は、地下の空間に閉じ込められます。
そして「ルール」により殺人を推奨された参加者たちは参加者の一人が殺されたことによって、疑心暗鬼の中で次第に消耗していくのでした。
設定やトリックはそれなりに面白かったのですが、konnok的には数学の公式の証明問題のような小説は肌に合わないので、評価はイマイチになってしまいます。
この小説を読んでみて、多人数ゲームのタブラの狼と共通する部分があるなあ、と思ってしまいました。
参加者の性格によって面白くもつまらなくもなるのは同じですね。
ところで、インシテミルとは何を意味するのでしょうか。
加藤陽子の戦争の日本近現代史を読みました。
「東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで」と言う副題が付いている、明治維新以降の日本の外交戦略について解説された本でした。
明治維新以降、日本の指導者たちが日本を先進国の仲間入りをさせるために、どのような施策をとって国民に説明していたのか、国民はそれに対してどのように反応したのか、と言うことが解説されています。
日本人が国際的に有利な条件で外交をするために国防を充実すべきであるという方針の下で軍備の拡充を行っていく中でも、国民の中には負担増に反対する意見もあったというのが面白いと思いました。
しかし、一番知りたかった、なぜ満州事変から(無謀と思われる)太平洋戦争に突入していったのか、それを国民はどう感じていたのか、というところの解説が少なく、ちょっと物足りなく感じました。
有川浩の空の中を読みました。
太古の昔から人知れず空の中に存在していた生物と人間とのコンタクトを描いた物語でした。
SFとしてのプロットは面白く読みました。
ライトノベルとして書かれた小説だそうで、体育会系の美人パイロットと航空機設計会社の社員、事故で父親を亡くした高校生とその幼なじみという二組のカップルの恋物語が女性らしい視点で描かれています。
とは言え、一番印象に残ったのは高校生のカップルを暖かく見守って導いてくれていた川漁師の宮じいなのでした。
ところで、有川浩の図書館戦争はべたべたに甘い恋愛小説だとのことなので、楽しみです。
早く文庫にならないかなあ。
内田樹のひとりでは生きられないのも芸のうちを読みました。
内田樹がblogで書いていた主張を編集したものでした。
上野千鶴子のおひとりさまの老後に対するアンサーソングとして書かれたものである、とあとがきに書いてあるとおり、現在の若者の就職難、老人たちの状況などに対して内田樹らしい主張が繰り広げられています。
私がいつも不思議に思う、地域共同体はなぜ解体してしまったのか、どうして少子化が進行しているのか、というようなことが解説されています。
日本人は長い繁栄の時代で、仲間と競争することに対してのスキルのみに注力するあまり、自分が仲間と競争するそのシステム自体が機能不全に陥ってしまったときにどう対応するか、というようなノウハウが失われてしまった。
でも、これからの時代は若い人でも老人でも、厳しい状況にさらされるときが来るかもしれない、そのような人たちを救う公的なシステムが瓦解に瀕しているわけだから。
私は内田樹の著作を2冊読んで、ほとんどの主張が腑に落ちたので内田樹教に入信することに決めました。
まあ、教義のひとつである「話半分」ということも含めてですが。
フェリクス・J・パルマの時の地図を読みました。
タイムマシン・タイムトラベルをテーマとした小説でした。
H・G・ウェルズが狂言回しになって、3つの章に分かれて物語が語られていきます。
それぞれの章は互いに関連してはいるものの、それぞれ独立した物語となっていて、その構成の妙に感心してしまいます。
また、それぞれの章が読み応えのある物語で、ついつい引き込まれてしまいます。
トリックがトリックなので、今後読むひとのために、これ以上ストーリーについて書けないのが残念です。
タイムマシンものと言えば、例えば広瀬正のSF小説のように、論理的に無矛盾であることを追求するという方向性になってしまうことが多いですが、このような物語性を重視した方向性もアリなんだなあ、と思ったのでした。
畠中恵と柴田ゆう共著のしゃばけ読本を読みました。
江戸時代の妖が活躍するしゃばけシリーズのファンブックでした。
しゃばけシリーズの各巻の紹介や、畠中恵と柴田ゆうの対談、しゃばけグッズの販売サイト紹介、江戸時代の時代考証、おまけとして一太郎の幼年時代を描いた絵本「いっちばん」まで収録されています。
全巻フルカラーなのでお買い得感満載です。
しゃばけシリーズの文庫では柴田ゆうの挿絵は表紙と章の扉にしか描かれていませんが、このファンブックではたくさん描かれているので鳴家ファンの人には超おすすめです。
このファンブックを読んで、しゃばけの物語は柴田ゆうの挿絵なしには語れないなあ、と思いました。
東川篤哉の謎解きはディナーのあとでを読みました。
お金持ちのお嬢様なのに、それを隠して女性刑事をしている宝生麗子が主人公の物語でした。
麗子の上司もお金持ちのボンボンで、ジャガーを乗り回している刑事だったり、麗子お付きの執事がひと癖もふた癖もある人物だったりと、ぶっ飛んでいる設定のミステリーなのでした。
少女マンガのコメディのような登場人物たちの掛け合いが楽しく、あっという間に読み終えてしまいました。
6編の短編でそれぞれ謎が語られてから謎解きされるのですが、いくつかはちょっとこじつけ気味なんじゃないの、と思ってしまうものもありました。
この謎解きを読みながら、konnokが連想していたのは公開鍵暗号でした。
答えが分かっている立場で謎を読むと確かにそれしか答えはないんだけど、いろいろな可能性を検証しながら謎解きしようとするとなかなか正解にたどり着けないところが似ているなあ、と思ったのでした。
この本は長女がおすすめしてくれたのでしたが、楽しく読むことができたので満足でした。
藻谷浩介のデフレの正体を読みました。
経済は「人口の波」で動く、という副題の付いている、経済論でした。
GDPというようなあいまいな指針ではなく、実際に公開されている就業者数のような実数字をベースに考えてみよう、という主張です。
例えば、日本の景気は上向いているという政府の発表に庶民の実感が感じられないのはなぜか、ということに対しては以下のように解説されています。
就業者数が減少し、さらに低賃金にあえいでいるためにお金が使われない、つまり内需が拡大しないため不景気になっている。
お金を持っている裕福な高齢者層は自分が老いたときのために貯金を塩漬けにしていて、そのお金が消費に回らないため、日本にお金はあるんだけど、経済が活性化しないということになる。
過疎化(就業者数が減って高齢者が激増する)は地方だけでなく、首都圏でも進行している、とか、生産性向上とは人員削減のことではなく、ブランド化などにより付加価値を増加することである、というような目から鱗がおちる主張が解説されています。
私がぼんやりと考えていた、日本の借金がどんどん増えていることに対する解決案は、歳出削減・緊縮財政だったのですが、個人の経済の改善と国の経済の改善は違う視点で対策をとる必要があるんだなあ、と思いながら読んだのでした。
それより大きな問題は、日本の就業者数が減少していくことによる、日本の未来です。
日本人が体験したことのない未曾有の国難に対して、今後どのように対処していくのか、考えていく必要があると思ったのでした。
今年も、面白そうな本を探して読んでいきたいと思います。
そしてなるべく本を選ぶときに参考になるようなコメントを記録していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。