2008年に読んだ本の感想



2008年12月25日

宮部みゆきの日暮らしを読みました。
ぼんくらの続編でした。 前作に続いて、平四郎、弓乃助、佐吉、お徳らのその後の物語でした。 今回は湊屋総右衛門の妾である葵の物語でしたが、本編の最初であっけなく葵は殺されてしまいます。 さて、下手人は誰だろうといろいろな推理が展開されていきます。 脇役もキャラクタが立っていて、面白く読むことができました。
最初に短編をいくつか並べて登場人物の紹介をしながら、伏線も張っておき、その後本編で物語を語っていくという構成がうまくできています。 宮部みゆきの小説を読んでいて気に入っているのは、物語がすっと頭に入ってくるということです。 中には意識的に物語に集中していないと物語を追うことができない小説もありますからね。


2008年12月17日

伊坂幸太郎のチルドレンを読みました。
マイペースで、他人に議論を吹っかける癖のある、でもなぜか憎めない陣内という男を中心として巻き起こる事件を描いた短編集でした。 それぞれの登場人物が異なる時期に遭遇したそれぞれの奇妙な事件は、見かけとは異なる真相を隠しているのでした。 そして、全く無意味と思われる陣内のアドバイスが何故か事件の真相を暴きだすことになるのでした。
殺人の起こらないミステリーは結構気に入っているものが多くて、この本もお気に入りの1冊になりました。


2008年12月11日

角田光代のトリップを読みました。
東京から電車で2時間の片田舎の町に住む人々が主人公の短編集でした。 駆け落ちに失敗した高校生、ドラッグ中毒の主婦、自分に満足できない主夫、大学時代の同級生を追いかけるストーカー... それぞれの登場人物たちは他人に話せない秘密を持っていて、その町に住んでいる自分に違和感を感じているのでした。
登場人物たちはよどんだ水の中に沈んでいるような気持ちで毎日の生活を送っています。 でも、なぜでしょうか、この物語に登場する人々が実は普通の幸せな人たちなんだ、と思えてきます。 それが角田光代の物語の力なんでしょうか。


2008年12月8日

尾崎翠の尾崎翠集成を途中まで読みました。
テレビで紹介されていたので、尾崎翠の第七官界彷徨を読んでみました。 どこか知らない場所をさまよう物語なんだろうなあ、と期待して読んだのですが、実際は詩人に憧れる少女の退屈な日常が描かれた物語でした。
文学的には何か優れたものがあるのでしょうが、konnok的には少女趣味的なつまらない物語でした。
尾崎翠集成を上下巻で買ったのですが、このままお蔵入りですね。


2008年12月3日

フレドリック・ブラウンの天の光はすべて星を読みました。
宇宙旅行に憧れる老境に入ったパイロットの奮闘の物語でした。 この本は以前読んだことがあったはずですが、何となく懐かしく、つい買ってしまいました。 物語としては特に面白いわけではなく、SF的にも見るべきものはありませんでした。
しかし、フレドリック・ブラウンのSFやファンタジーの短編集はとても気に入っているので、この本を読み直したのをきっかけに、再度短編集を読み直してみようかなあ、と思っています。


2008年11月29日

ダニエル・ゴールドマンのEQ こころの知能指数を読みました。
知能指数(IQ)が高い頭の良い人でも、社会で成功するとは限らない、それよりも自制、熱意、忍耐、意欲などのこころの知能指数(EQ)の高さが重要である、という主張の本でした。 社会で成功するためには、共感する能力、社会的な知性などが必要である、ということです。
この本を読んで思ったのは、日本では昔から日本人の美徳とされていた謙譲や、思いやりのような、感情をコントロールする力が今はないがしろにされてしまっている。 そして、声高に自分の要求を主張する人が幅を利かすようになってしまったなあ、ということです。
まあ、会社の中にも親分肌の人やほかの人の気持ちをコントロールするのが得意な人などEQの高い人がいて、KYの傾向のあるkonnokなどはうらやましく感じています。
主張の中に、子供が危ないものに近づいて行った時に親が断固とした禁止をしたほうが、子供がその不安情動に耐性ができてくる、というものがありました。 過保護の親は子供に不安情動を与えないように育てるために、子供に不安情動に対する耐性が育たない、ということです。 「不安に過剰反応する子供のために良かれと思って挫折や不安をすべて取り除いてやる母親は逆に子供の不安感をひどくしていると思います。」と主張されています。
ちょっと論理が飛躍しますが、「子供のころにナイフで作業をして手を切ってしまうと危ないから、刃物を全く扱わせない」とか「子供に悪影響のある言葉を使わないようにする、という言葉狩り」などは同じような危険性を感じます。


2008年11月22日

山田詠美の色彩の息子を読みました。
色がテーマのちょっとホラーな短編集でした。 文庫なのに、それぞれの短編のページにテーマとなる色の色紙がはさまれているのが面白いと思いました。
ショートショートに近い構成なので、プロットは面白いのですが、山田詠美の物語としてはちょっと物足りないと感じました。


2008年11月14日

諸田玲子の天女湯おれんを読みました。
江戸時代の湯屋を舞台としたちょっと色っぽい物語でした。 若い女性がおかみで、辻斬り事件やライバルの湯屋との確執などの物語が語られていきます。
しかし、物語がうすっぺらで性的な描写も下品に感じたので、konnokとしてはあまり気に入りませんでした。


2008年11月6日

川端裕人のおとうさんといっしょを読みました。
父が子供を育てるということをテーマとした短編集でした。 いまは、男性が育児休暇を取ることもできるようになってきましたが、子育ては女性の方が適している仕事という感覚があります。 そのような中で、子育てに奮闘するお父さんたちを描いた物語たちでした。
一番気に入ったのが「ギンヤンマ、再配置プロジェクト」です。 奥さんが自分のキャリアを伸ばしたいからと、ロンドンに4週間研修に行くことになってしまった男性が、会社の仕事もこなしながら、幼稚園児と幼児の二人を育てるという物語です。 母親がいないために不安定になってしまう子供と格闘しながら、それでもだんだん子供に対する愛情を深めていくお父さんが描かれています。
私も結構子供好きのつもりですが、カミさんに言わせると自分の子供ができるまでは、電車で子供が泣いていたりすると、不快な顔をしていたとのこと。 母親は子供たちと肉体的につながっているけど、父親はなにかのきっかけで意識して子供とつながっていく必要があるんだなあ、と思いました。


2008年10月29日

伊坂幸太郎の陽気なギャングの日常と襲撃を読みました。
陽気なギャングが地球を回すの続編でした。 相変わらず陽気で魅力的な4人組が主人公の物語でした。
それぞれ、特殊な能力を持つ4人がそれぞれ事件に巻き込まれていきます。 本職は銀行強盗なのに、なぜか別の事件に首を突っ込んで物語が回っていきます。 語り口が面白く、電車で読んでいるときについ噴出してしまい恥ずかしい思いをしてしまいます。 この人の物語はいろいろな伏線が絡み合っていて最後の最後まで楽しませてくれます。


2008年10月20日

浅田次郎のお腹召しませを読みました。
江戸末期の武士の生活上のエピソードの短編集でした。 浅田次郎の先祖と思われる人々の人情味あふれる物語たちでした。 私の先祖は、名前はある程度分かるものの、どんな生活をしていたのか記録がありません。 先祖のエピソードが想像できるというのは羨ましいですね。
表題作の「お腹召しませ」は、娘婿の不始末を収めて家を守るために、母親と妻に切腹を迫られてしまう下級武士の物語でした。 私も早く帰る日が続くとカミさんに「大丈夫?リストラされたりしないよね」と脅かされてしまうので他人事とは思えません。


2008年10月12日

キャサリン・ネヴィルの8(エイト)を読みました。
この本は面白いという評判だったので、アマゾンのロングテールから手に入れて読んでみました。
大きな力を持つ公式が秘められていると伝えられるチェスセット「モングラン・サービス」を手に入れようとする人々の物語でした。 1700年代と1900年代の二つの時代で散逸してしまったチェスセットの駒を集める人たちの物語が交互に語られていきます。 主人公の若い女性は、自分でも知らないうちに「モングラン・サービス」を集めるゲームに参加させられてしまいます。 チェスの駒を求めてアメリカからアルジェリアに渡る冒険物語が語られていきます。 また、200年前にフランスからアルジェリアに渡って同じように謎解きをした女性の物語も交互に語られていくのですが、最後にその二つの物語が一つの物語につながります。
冒険・伝奇・そして秘められた大きな力とは何なのかという謎ときが面白く読めます。


2008年9月21日

伊坂幸太郎の魔王を読みました。
ふとしたことから他人に自分の考えた言葉をしゃべらせることができるという奇妙な能力を持ってしまった主人公が政治家と対決するという物語でした。
いつものとおり着想が奇抜で、語り口も良く物語も読みやすいのですが、まだ物語として完結していないような印象があって、ちょっと欲求不満がたまります。 この物語の後日談の小説が出ているようなので、そちらで完結しているのでしょうか。


2008年9月13日

細谷功の地頭力を鍛えるを読みました。
地頭(じあたま)というのは初めて聞いた言葉ですが、コンサルティングや人事関係などで使われている言葉だそうで、この本では「問題解決に必要なベースとなる能力」と定義されています。 決して毛根の活性化というような意味ではありません。
この本では頭がいい人の分類として(1)物知り(知識・記憶力)、(2)機転が利く(対人感性力)、(3)地頭力がある、の3種類があると定義されています。 3番目の地頭力とは問題解決の能力であり、仮説思考力(結論から考える)、フレームワーク思考力(全体から考える)、抽象化思考力(単純に考える)という地頭力固有の思考力により構成されています。 地頭力を鍛えると、問題解決能力が飛躍的に向上する、と書かれていました。
地頭力を鍛えるためのツールとして「フェルミ推定」が紹介されていました。 これは「日本全国で電柱は何本くらいあるのか」という漠然とした問題を、短時間(3分程度)で如何に精度良く(1桁くらいの誤差で)推定できるかという問題です。 このような問題を解くために、結論から、全体から、単純に考えるやり方が解説されていました。
解説の中で、「コピペ族(インターネットから集めた情報だけで論文を各研究者)」、「ポイントは3つあります」、「エレベータで社長と一緒になって、○○の件はどうかね、と聞かれたら30秒で状況を答える」などのような面白い話題もあります。
まあ、どんな本でも同じですが、読んだだけではなかなか実践につながりにくいのが問題です。
この本では物知りであることより、深く考える力を持つことが重要であると主張しているのですが、そういう視点でテレビのクイズ番組を見ていると、やはり知識を問う番組が多いですね。 テレビの場合は問題に対する解答が明確に出ないと番組が成立しないからでしょうか。


2008年9月11日

石田衣良の下北サンデーズを読みました。
下北沢の小さな劇団の門をたたいた大学一年生の女の子が主人公の物語でした。 主人公が入った劇団はだんだん勢いがついて、客も増え、より広い劇場で公演できるようになりましたが、好事魔多し、思わぬトラブルも発生してしまうのでした。
エッセイ傷つきやすくなった世界でを読むと、藤井フミヤと堤幸彦とのコラボレーションでドラマ化を前提として書かれた物語のようです。 そのためか、石田衣良の物語としては物足りない一本道のストーリーになっています。 まあ、甘いストーリーが読みたい人たち向けならこれで十分なのでしょうが。


2008年9月9日

伊坂幸太郎のグラスホッパーを読みました。
愛する妻を殺された教師がその犯人に復讐するために、その犯人の父親の犯罪組織に潜入します。 ところが、最初からその目的は組織に気づかれてしまっていたのでした。 という暗いプロローグから始まる物語でした。
その元教師と2人の犯罪者という主人公たちが絡み合いながら物語が進んでいきます。 前半では暗いトーンでだらだらと進んでいた物語が、後半になると勢い良く転がりだします。 登場人物たちのいろいろな思惑が交錯して驚くような展開になります。
最初は暗い物語で、たくさんの登場人物が死ぬのですが、最後は気持ちの良いエンディングになってしまうところが不思議です。


2008年9月2日

石田衣良の傷つきやすくなった世界でを読みました。
R25に連載されていたエッセイを一冊にまとめたものでした。 石田衣良の視点には共感できるものが多く、小説が面白いと感じるのはこのようなベースがあったのか、と思ってしまいました。 R25世代の若い男性たちに対する応援歌が書かれていて、あっという間に読み終えてしまいました。
やはり、なぜ日本の男性たちはこんなに毎日遅くまで仕事をしなければならないのか、という問いかけに反応してしまいます。 みんな気持ちに余裕がなくなっていて、恋愛などもできない状況になってしまっていて、他人に寛容になる余裕もなくなってしまっています。
やはり日本は「傷つきやすく」なってしまっているのでしょうか。


2008年8月23日

法月綸太郎のしらみつぶしの時計を読みました。
論理的なトリックを題材とした短編集でした。 数学の教科書のようなロジックの展開で、なるほど、そういう風になるのね、と興味深く感じました。 私の小説の好みは、ロジックで固められたものより、登場人物が生き生きとしているかどうか、人間性が感じられるかどうかがポイントなので、毛色の違う「猫の巡礼」がお気に入りだったりします。
表題作のしらみつぶしの時計は、1分毎にそれぞれ違った時間を表示している(1日は24時間、1440分なので)1440個の時計の中からロジックの導きにより1個だけ正し時間を表示している時計を見つけるという物語でした。 この物語を読んでいて私が思ったのは、今の品質の時計だと1440個のうち2〜3個は時計が止まったり時間が狂ったりしてしまうものが出るよなあ、するとこの物語自体が成立しなくなるなあ、と考えてしまいました。 日頃の仕事の感覚で余計な心配をしてしまいます。


2008年8月19日

あなたと、どこかへ。 8 short storiesを読みました。
短編の名手8人が書いた短編アンソロジーでした。 中年にさしかかった主人公たちが、いろいろな想いを抱えながらだれかとどこかへ出かけていく。 その先には何があるのか。
読みやすいのであっという間に読み終えてしまいますが、それぞれの作家の持ち味が発揮されていて心に残る物語たちでした。


2008年8月14日

高橋克徳他の不機嫌な職場を読みました。
「なぜ社員同士で協力できないのか」という副題がついていて、帯には「あなたの職場がギスギスしている本当の理由」と書かれています。
会社というのは社員が協力して業務を進めていく場であるはずなのに、社員同士の協力ができなくなってしまっている会社がある、という指摘です。
ここ何年かで成果主義が採用されてきて「仕事の定義」の明確化と「専門性の深化」は業務の効率化に寄与しているけれども、自分の専門性に特化する「タコつぼ化」が組織の中に蔓延してくる。 その結果、お互いの関係が希薄になり、従来の日本の会社では意識しなくてもできていた、個々人の仕事を「束ねる」ことができなくなってくる。
このような状況を打破するために、協力しあえる職場を作るにはどうしたらいいのか、ということが解説されていました。
共通目標・価値観の共有化、インフォーマル活動の見直し、「感謝」「認知」という応答の推進などにより協力関係を持つ会社そして社会を作っていく必要がある、と書かれていました。
日本という文化の良いところを前提として生産性をあげるための対策を取ったら、その前提となっていた良い点自体が揺らいできているというのは、いろいろな場所で起きているような気がします。


2008年8月11日

伊坂幸太郎のラッシュライフを読みました。
ジグソーパズルのように、断片のエピソードがだんだん一つの物語に組みあがっていくという小説でした。 初めは全く関連がないと思われたエピソードが一つの絵につながっていくのは気持ちがいいですね。
ただ、エピソードの時系列がばらばらで物語の見通しが悪いのはちょっと気になります。 まあ、時系列に沿って物語が語られてしまうと、この小説は成立しなくなるので仕方がないのですが。
エッシャーのだまし絵の物見の塔がモチーフになっていますが、エッシャーの絵は好きなのでいい感じです。


2008年8月6日

武田邦彦の偽善エコロジーを読みました。
「環境生活」が地球を破壊する、と副題がついた、現在のエコに対する批判が書かれた本でした。
内容は面白く読んだのですが、インターネットなどで確認したところ、どうもこの本の内容は嘘だらけで、「トンデモ本」であるらしいです。
私もだまされてしまい、反省しています。


2008年8月5日

石田衣良の愛がいない部屋を読みました。
石田衣良の恋愛をテーマにした短編集でした。 マンションに住むいくつかのカップルのそれぞれの物語が、さっぱりとした味わいで語られていきます。 愛情のあり方もいろいろな形があるんだなあ、と楽しめました。
表題作の、愛のない部屋は家庭内暴力に悩む女性の物語でしたが、そこに囚われず生きていこうという希望が見えて心が温かくなりました。


2008年7月31日

田代秀敏の中国に人民元はないを読みました。
中国という国がどのような国なのか、普通の日本人が常識的に考えていることがいかに実態とずれているか、を「中国に〜はない」という逆説的な見出しで解説した本でした。
例えば、中国では「金を貸すバカ、返すのはもっとバカ」というのが常識である。 また、土地は全て国有なので国がある地域を収用して開発することになると、そこに住んでいる人たちには抵抗することができない。 さらに、手形が不渡りになっても倒産しない、そもそも契約を履行しなければいけないと言う風土が無い。
このような差異を解説した後に、「日本と中国が違うこと」が中国リスクではない、「中国に日本の常識や通念を押し付けようとすること」がリスクなのだ、と書かれていました。 私もそのうち中国との仕事をしなければならないかもしれないので、肝に銘じておくことにします。


2008年7月29日

唯川恵の肩ごしの恋人を読みました。
連載時の題名はシュガーコートという題名だったそうで、女性二人を中心とした甘い物語でした。 5歳のときからの幼なじみの、女性の魅力を武器にしている女性と、仕事に没頭する女性の二人のそれぞれの出来事をサクサクとクッキーのような歯ごたえで描いた物語でした。
ちょっと疲れているときに甘いものがほしくなる、そんなときにおすすめの小説でした。 konnok的にはちょっと甘すぎて、糖分の取りすぎに注意、と感じてしまいましたが。


2008年7月17日

フィリップ・プルマンの琥珀の望遠鏡を読みました。
ライラの冒険黄金の羅針盤の3巻目でした。 この巻では、この世界に起こっている異常の原因が明らかにされ、そして物語が完結しました。
魔女、天使、スペクター、崖鬼、象のような姿をした車輪で移動する種族、トンボに乗った小さな種族、死者の国の門番など、いろいろな種族が登場し物語が進んでいきます。 真実を知ることのできる黄金の羅針盤、パラレルワールドの間を移動できる窓を開ける神秘の短剣、この世界の成り立ちを見ることのできる琥珀の望遠鏡と3種の神器もそろい、この世界の災いの原因が解明されていきます。
しかし、konnokとしてはこの3巻目は楽しめませんでした。 いくつかの世界の出来事が交互に語られていきますが、展開がめまぐるしいだけでなく、ご都合主義的な事件が続き、必然性があまり感じられません。 ハルマゲドンが来るのかと思いきや、中途半端な局地戦で終ってしまうし、主人公を狙っていた暗殺者はあっけなく死んでしまうし。 最終的にこの世界に災いをもたらした問題がどのように解決されたのかもはっきりしないし。
主人公の女の子とその母親が根っからの嘘つきだと言うのも気に入りません。
1巻目の黄金の羅針盤は楽しめましたが、あとの2巻は駄作だと思いました。


2008年7月9日

フィリップ・プルマンの神秘の短剣を読みました。
ライラの冒険黄金の羅針盤の続編でした。 この巻では、重なって存在しているパラレルワールド間を行き来できる窓を開けてしまうという「神秘の短剣」とその使い手のウィルという少年が登場します。 ライラの世界と私たちが住んでいる世界、そしてその間のまた別の世界を舞台として、ライラとウィルの冒険が続いていきます。 そこに、敵と味方の大人たち、魔女、天使、スペクターなどが登場して駆け引きや争いを行っていきます。 ライラの母親が悪の組織の主要人物で、他人を操る力を持っているというのが面白いところです。
ウィルの「神秘の短剣」が来るべきハルマゲドンのカギを握っているらしい、ということがわかったところで、物語は琥珀の望遠鏡に続いていくのでした。


2008年7月3日

フィリップ・プルマンの黄金の羅針盤を読みました。
私たちの住んでいる世界とよく似ているが、異なる世界に住んでいるライラという女の子が主人公の冒険ファンタジーでした。 ボードゲームや映画が紹介されて聞いていたので、まずは小説を読んでみました。
ボードゲームではパン・カードというのがジョーカー的に役に立つカードだったのですが、パンって何だろう、と思っていました。 パンとは、ライラの守護精霊のパンタライモンのことで、変幻自在に姿を変えることができ、ライラの冒険を助けるという設定だったのでした。
主人公たちが住んでいる世界に災いの兆しが見えて、それを救うために旅に出るのが無力な(に見える)主人公という構図は、指輪物語とよく似ています。 子ども向けのファンタジーは読んでいるうちにその内容の幼さに読み続けるのが苦痛になるものもありますが、この物語は大人も楽しめる読み物になっています。


2008年6月29日

伊坂幸太郎のオーデュボンの祈りを読みました。
主人公の青年がひょんなことから時に取り残された島に入って、未来を予言する「かかし」と出会う物語でした。 そこに住んでいる奇妙な住人たちがいろいろな事件を起こしていくのです。
主人公が別の世界に行ってしまうという物語は、倉橋由美子のスミヤキストQの冒険のグロテスクな世界や、村上春樹の世界の終りとハードボイルドワンダーランドの静謐な世界が連想されます。 この物語もそれらの世界と共通点があるような気がしました。
私はこの物語を読みながらなぜか「タブラの狼」ゲームを連想していました。 それぞれの登場人物が表面に現れない使命・目的を持って行動しているので、行動が奇妙に見えても最後の謎解きでは納得できてしまうのです。
この人の物語には必ず出てくる悪意で固まっているような登場人物が今回も登場し、物語にアクセントをつけています。 村上春樹の初期の作品では「鼠の小説では、人は死なないし、女と寝ない」と書かれていましたが、伊坂幸太郎の小説ではデビュー作から悪意やバイオレンスが描かれています。 これも時代の流れなのでしょうか。
表題のオーデュボンの祈りはリョコウバトが絶滅するところに立ち会ってしまった動物学者から取られています。 今後もたくさんの動物たちが人間によって絶滅に追い込まれていくことでしょうが、カートボネガットのスローターハウス5で語られる「そういうものだ(So it goes.)」と思ってしまいます。


2008年6月20日

機本伸司のメシアの処方箋を読みました。
21世紀半ば、ヒマラヤの氷河が溶けて氷の中に埋まっていた正体不明の方舟が流れ出してきました。 その方舟は誰かの墓のように見えましたが、中に格納されていたのはおびただしい数の木簡でした。 木簡には綺麗なハスの花の模様がたくさん書いてありましたが、それが何を表しているのかは分からないのでした。
そのハスの花の模様がDNAを表していると気づいた主人公たちが、巨大なコングロマリットを出し抜いてそのDNAを持つ生物を生成しようとするのでした。
前作と同じで、天才のような登場人物に翻弄されてしまう、ちょっと気の弱い主人公という設定です。 おいおい、どうしてそんなことを引き受けてしまうんだよ、ということが随所に出てきます。
物語の展開が速く、ストーリーはそれなりに楽しめましたが、アイデア勝負で主人公たち登場人物の描きこみは今ひとつと感じました。


2008年6月18日

伊坂幸太郎の重力ピエロを読みました。
呪われた血のつながりと育ての親の愛情の間で苦悩する青年を描いた小説でした。 語られているテーマは重いのですが、物語は淡々と描かれていきます。
登場人物たちの会話も洒脱で饒舌で、それだけを読んでいると軽い小説なのかと思わせられますが、その裏には秘められた情念が渦巻いているのでした。
ゲノムの話題も取り入れながら、主人公と弟と父と母、そして罪悪感を感じない一人の犯罪者が物語を紡いでいきます。
主人公たちの家族の心が通い合っていることが、その家族の悲劇を際立たせています。 エンディングまで一貫して淡々と明るく描かれていることで、かえって心に残る物語でした。


2008年6月5日

吉野秀のお客さま!そういう理屈は通りませんを読みました。
世の中のクレーマーに対する企業の苦情担当者向けに、お客様対応のノウハウを説明した本でした。 この本の中に書いてあるクレーマーの実例を読むと、事実は小説より奇なり、を実感させられます。 根っからのクレーマーや常識外れの人がいると同時に、普通の人も企業側が対応を間違うとクレーマーに変じてしまうこともある、と解説されています。
そこで重要なのが、企業側が不利になるような言質をとられずに、あくまでもお客様のお話を聞きながらクレームを取り下げさせることです。 この本で解説されているのは、「フレーズ力」です。 感情的になり激昂している相手に対して、どのような言葉を使えばいいのか、どのような態度で対応すべきなのか、が実例をもとに解説されています。
まあ、解説されていることは普通の仕事でも役に立つ内容なのですが、なかなか実践できないことが問題なんですね。


2008年6月4日

ジェフリー・アーチャーのプリズン・ストーリーズを読みました。
一度は一代貴族にまでなったのに、裁判で偽証した罪で服役したジェフリー・アーチャーの最新作です。 12編の短編集でしたが、そのうちの9編は監獄の中で聞いた話をベースにしているという、転んでもタダではおきない、この作家らしい短編集でした。
アーチャーらしいどんでん返しのある物語が多かったのですが、以前の短編集よりは面白さは落ちるというのがkonnokの感想でした。 犯罪者側から語られる物語が多かったからかもしれません。


2008年6月2日

伊坂幸太郎の陽気なギャングが地球を回すを読みました。
この本は書店に平積みしてあってずっと気になっていたのですが、アメリカの広大な平原の一本道をアメ車にのったギャングたちが大騒ぎしながら旅するという物語だと思っていました。 「陽気なギャングが地球を回る」と読み間違えていたのでした。
ヨタ話は置いといて、読んだ感想としてはテンポのいい会話が楽しい物語でした。 それぞれ特殊能力を持った4人組が銀行強盗をする物語ですが、あくまで明るく陽気に銀行強盗が実行されていきます。 そして、お約束の予想外のアクシデントが発生し、物語は進んでいくのでした。
著者があとがきで述べているように、あの4人はいまどうしているのかなあ、と思い出しそうな物語でした。


2008年5月29日

昭文社のことりっぷ(仙台・松島・蔵王)を読みました。
大阪在住の仙台出身の友人がおすすめしていたので、読んでみました。 仙台や近辺の観光地のおすすめのお店やホテルが紹介されていました。
私は出不精で(デブ症ではありません)あまり出かけるのが好きではありません。 家の中で本を読んだりゲームをしたりしているほうが好きです。 なので、仙台に住んでいても、おいしいレストランやおみやげ物はほとんど知りませんでした。 でも、遠くの友人が来訪したときに仙台を紹介することもあるかもしれないので、常識として知っておくべきことかなあ、と思いました。
それぞれの地域のことりっぷがあるようなので思い入れのある地域のことりっぷを読んでみてはいかがでしょうか。


2008年5月27日

こなみかなたのチーズスイートホームを読みました。
カミさんが気に入って買ったコミックで読んでみろということだったので、読んでみました。 物語は迷子になった仔猫がマンションに住む子供に拾われて一緒に生活していくというものでした。 あたたかな物語で物語は楽しめました。
ただ、不思議なのはカミさんが気に入るキャラクタはこの物語の猫のチーにしてもケロロ軍曹にしても目がまん丸ということです。 konnok的には、教育テレビで朝やっている野菜の妖精たちのほうがずっとかわいいと思うのですが。


2008年5月25日

恩田陸のまひるの月を追いかけてを読みました。
夜のピクニックの異母兄妹の20年後のような設定のお話でした。 主人公の静は母の違う兄が失踪したという話をその恋人から聞いて、その恋人と一緒に奈良を旅することになりました。
兄とその同棲の相手、そしてもう一人の女性が登場して物語が進んでいきます。 兄の好きだった人は誰なのか、そして事故で亡くなってしまった女性は何を考えていたのか。 恩田陸らしい語り口が魅力的でどんどん引き込まれてしまいます。
最後の謎解きがちょっとイマイチでしたが、全体的には面白く読めました。 私も以前友人を訪ねて、奈良をちょっとだけ歩いたときのことを懐かしく思い出しました。


2008年5月23日

伊坂幸太郎の死神の精度を読みました。
死神が事故や殺人により夭折する人たちの最後に立ち会う、という短編集でした。 死神の設定が面白く、不気味ではなくちょっとユーモラスなのが面白いと思いました。
各短編ではそれぞれの人生の意味が描き出されていきます。 人間は無為にだらだらと生きていればいい、というものではなく、死と対照することによりその人生が光るということもあるんだなあ、と感じさせられます。
最後の短編は以前の短編と関連していて物語に広がりが感じられるのもいい感じです。 人は死んでしまっても、物語は残っていく、という主張には同感します。 人生にちょっと疲れたときに読むと癒されるかもしれません。


2008年5月21日

畠中恵のゆめつげを読みました。
幕末の騒々しい世相の中で、零細な神社の兄弟が騒動に巻き込まれていきます。 この主人公は夢で占うことができるという夢告の能力を持っていたので、幕末の浪士のたくらみに巻き込まれてしまうのでした。
超能力を持っているけどおっとりしている兄と、しっかり者の弟の掛け合いが楽しい小説でした。 謎解きもそれなりに楽しめました。
最後のほうは夢告げの能力がどんどん強力になってしまい、ちょっと暴走気味だと感じてしまいました。


2008年5月19日

伊坂幸太郎のアヒルと鴨のコインロッカーを読みました。
2年前と現在の物語が並行して進んでいきます。 現在の主人公が遭遇する人々と、2年前の物語に登場する人々が実は密接に関連しているのでした。
このように過去と現在が並行して物語られる小説では、貫井徳郎の慟哭があります。 この小説を読んだ感想は以前に慟哭を読んだときに感じた感想と同じでした。
小説家が読者をトリックをしかけて、最後に種明かしをするという小説では、このような過去の物語と現在の物語が並行して展開していく形式はトリックをしかけやすいと思います。 しかし、読者がミスリーディングするように書かれているような小説は、読者をペテンにかけているように感じてしまいます。
例え小説としての完成度は高いとしても、konnok的にはこのような小説は気に入りませんねえ。


2008年5月12日

上野千鶴子のミッドナイト・コールを読みました。
上野千鶴子が朝日新聞に連載したエッセイ集でした。 上野千鶴子といえばフェミニズムの難しい本が多いので、攻撃的な論戦を好む人なのかな、と思っていました。 ところが、このエッセイを読んでみると、とても頭はいいということはあるにしても、ごく普通の女の人なんだなあ、と感じられました。 「私は親に愛されて育った。親が私にくれた得がたい贈り物と思っている。」という文章を読むと、私はちゃんとそういう風に子供たちに思われるように育てることができただろうか、と思ってしまいます。
古い価値観で女性が抑圧されていた時代から、現代のように女性が解放された時代になりました。 ところが、新しい価値観が確立しないまま、古い価値観が壊されてしまいました。 男性も女性も自分のエゴを主張するばかりで、それに対応する責任を引き受けない風潮になっている、と苦い思いが書かれていました。
このエッセイが書かれたのが20年前ですが、そこから20年で日本の状況はどう変わったんでしょうか。


2008年5月7日

桐野夏生のグロテスクを読みました。
前半は名門女子高校における女の子たちの生態が描かれています。 女の子たちの価値観、そしてイジメの心理やその行動はおぞましく、konnok的にはホラーを読んでいるような感じがしてしまいます。 見かけはきれいではつらつとしている女子高生たちですが、その実態はどろどろした残酷な論理で生きているのでした。
konnokはきれいな女の人は怖いと感じているのですが、その理由の一端を見せつけられたように感じました。
後半は東電OL殺人事件を下敷きにして、学生時代に受けたトラウマをかかえて一流企業に勤めていながら娼婦をしてしまう女性が描かれていました。 しかし、konnok的には後半の物語はドロドロとした情念がグロテスクに書かれていて、辟易させられました。 中年の女性がトラウマを昇華できないまま、幼い(と感じられる)論理で日記を書いている、という設定なので、読み続けるのがつらいと感じました。 まあ、表題が「グロテスク」なので、それが桐野夏生の書きたかったことなのでしょうが、ちょっとついていけません。


2008年4月26日

奥田英朗の東京物語を読みました。
奥田英朗の若いころの生活を描いた(と思われる)小説でした。 名古屋から上京した青年が自分の生活を確立しようと苦闘する様子を5つのエピソードで描き出しています。 文章は奥田英朗らしく読みやすく書かれていましたが、フィクションのように大きな物語の展開があるわけではないので、物語としての面白さはイマイチでした。
エピソードの中に描かれている奥田英朗の考え方や仕事のやり方を読んでいると、成功する人というのはやはり一味違うんだな、と思わせられました。


2008年4月23日

本田孝好のMISSINGを読みました。
誰かを事故や自殺で失ってしまった、空虚な気持ちを描いた短編集でした。 最初の3編はそのとおり、失ってしまった人に対する残された人の気持ちを描いた短編でしたが、最後の2編はちょっと違っていました。
私は4番目のルコの物語が気に入りました。 誰でも、20歳前の若いころは自信に満ち溢れて悩みながらも自分を信じて突き進んでいくことができるのに、ちょっと歳を取ってしまうとどうして生きようとする力が希薄になってきてしまうのだろうか。 人間というシステム自体が10代のうちに子供を作って30台には長老となるくらいのタイムスケールで設計されているのではないかな、と思うことがあります。 そうであれば、50を過ぎてしまっている私などは本当に余生=人間の一生として設計された部分を超えた余分な人生なのかな、と思ってしまいます。


2008年4月14日

伊藤たかみのリセット・ボタンを読みました。
自殺をテーマにした恋愛小説でした。 途中はそれなりに面白く読みましたが、結末では結局何も解決していません。 ネットワークの匿名性に隠れた人物による悪意が感じられる後味の悪い物語でした。
主人公はその人物の手のひらの上で踊らされているだけなのでした。 この主人公の元の恋人も、今の恋人も実はその人物により自殺に誘導されてしまっていたのでした。
本文中で語られている「暗闇は避けて通るんだ。一生避けて通るんだ。ある種の人間にとってはそれが一番大切なことなんだ」という言葉が妙に心に残りました。 悪意は人から人へ伝染していきます。 航空機の発達がエイズを全世界に蔓延させたように、インターネットが(例えば学校の裏サイトのようなものが)悪意を伝播させ増幅させてしまうのではないか、と思ってしまいました。


2008年4月12日

奥田英朗の真夜中のマーチを読みました。
詐欺まがいのお見合いパーティの主催者ヨコケンと大富豪の御曹司をかたって得をしているミタゾウの二人は、ヤクザが開いた賭場の上がりをかすめ取ろうとするが、謎の美女クロチェに邪魔されてしまう。 この3人が組んで、美術品投資詐欺のあがり10億円を手に入れようとするが...
登場する3人はそれぞれ風変わりな性格なのでその3人の掛け合いが楽しく、また登場する他の人物たちも漫画に登場するような行動を取るので物語に引き込まれてしまいます。 最初はかなりワルそうな性格に描かれているヨコケンが、物語が進むにしたがってアクの強い人物が登場してくると一番無害そうな性格に見えてくるのが面白い。


2008年4月9日

あさのあつこのガールズ・ブルーを読みました。
女子高校生の主人公たちのさわやかな青春が描かれている小説でした。 おちこぼれが集まる高校の女の子たち、でもそれなりに高校生活をエンジョイしています。 女の子たちの側から本音が描かれており、主人公たちも魅力的に描かれているので、違和感無く楽しめました。
ガールズ・ブルーという表題から、登場人物はみんな女の子という思い込みがあったため、読んでいる途中で、あ、こいつは男の子だ、と気づくところがあったので後でもう一度読み直したいところです。


2008年4月3日

角田光代の太陽と毒ぐもを読みました。
とても好きなのに、ここだけは許せない、というカップルたちを描いた短編集でした。 あなたの好きな人が、風呂嫌い、記念日フェチ、買い物中毒、隠し事ができない、迷信好き、野球狂、万引き常習、酒乱などというような困った性癖をもっていたらどうしますか。 というようなシチュエーションの物語たちでした。
いくつかの困った性癖は自分でも心当たりがあるので、他人事とは思えません。 自分が同じ立場だったらどう判断しただろうか、と考えさせられる物語たちでした。
昔はある程度狭い地域で同じような常識の中で育った男女が組み合わさることが多かったと思うのですが、今は日本の中でも別の地域で育ち、常識もそれぞれ異なる男女が組み合わさることが多いので、このようなことはずっと起きやすくなっているんだろうなあ、と考えさせられました。


2008年3月31日

室井滋のキトキトの魚を読みました。
妹が読む?というので、貸してもらった、室井滋という女優のエッセイ集でした。 日常の出来事がちょっと常識からずれている室井滋らしい切り口で描かれていて楽しめます。 軽い読み物なので、あっという間に読み終えてしまいました。


2008年3月27日

佐藤多佳子の神様がくれた指を読みました。
根っからのスリと女装の占い師の物語でした。 主人公の二人の生活は、常識からは外れた方向に向いていてちょっと危ないにおいがします。 とは言え、佐藤多佳子の物語ですから、暗い方向に引きずられながらも、自分に正直に生きていこうとする主人公たちの想いが暖かく感じられます。 スリに片思いをしている薄倖の少女や占い師の男勝りの姉なども魅力的でした。
占い師の物語でもあるので、章の名前はタロットの大アルカナから取られており、始まりが愚者で結末が運命の輪なのは納得しました。
まあ、物語のテーマが気に入らないので、konnokとしては評価は低くなりますが、面白い物語であることは間違いありません。


2008年3月24日

恩田陸の禁じられた楽園を読みました。
恩田陸のSFやホラーは当たりハズレの差が大きいですが、これは思い切りハズレでした。 パノラマ島奇譚とホラーを組み合わせた物語なのですが、着想も中途半端だし、エンディングも何が起きたか分からないし、途中で出てきた人がどうなったのかも分からないし、物語の骨格もぼやかされたままだし、ため息が出るばかりです。


2008年3月17日

石田衣良のブルータワーを読みました。
主人公が中年の男性というタイムスリップ物のSFでした。 物語の舞台は「風の谷のナウシカ」のような生物兵器で汚染された未来世界です。 人々はインフルエンザを遺伝子改造した生物兵器から逃げるように高い塔にこもって生活しているのでした。
現代で悪性の腫瘍にかかってしまった主人公の精神だけがタイムスリップして200年後の世界に飛んで行きます。 そしてその主人公はその世界で語られている伝説のとおり活躍して未来世界を救うのでした。
設定や主人公の行動にはツッコミどころが満載のSFでしたが、これは中年の男性を主人公にした少年冒険小説なんだから、それでいいんだと思いました。 アストロ球団に物理的な矛盾がある、とツッコんでも仕方ないですからね。
ひさしぶりにわくわくしながら冒険活劇を読みました。


2008年3月15日

山田宗樹の嫌われ松子の一生を読み直しました。
以前、途中まで読んで飽きてしまった小説ですが、仕切りなおしで最後まで読み直してみました。
女性が陥りやすい不幸な出来事のオンパレードなのですが、やはりその不幸にはまる経緯が納得できません。 この主人公は大学まで出た頭の良い人という設定なのに、なぜこんな分かりやすい不幸にはまってしまうのか。 それぞれの不幸の脈略がなくてリアリティがない、でも不幸が強調されていて鼻につく、というのが気に入らない理由です。
いみじくも本文中に記載されている、「自己中心的で、場当たり的で、狭い視野でしか対人関係を築けない」性格が、どうも魅力的に感じられないのがその理由かもしれませんが。


2008年3月12日

奥田英朗の延長戦に入りましたを読みました。
スポーツを題材としたジョークとエスプリがいっぱいのエッセイ集でした。 ほぼ10年前に書かれたもののようです。 奥田英朗の学生時代の話題もあって、東野圭吾のあの頃ぼくらはアホでしたのような雰囲気もあります。
私はスポーツには詳しくないので、へえー、そんなこともあるのかあ、と単純に感心して読みました。 スポーツに対する姿勢でアメリカや中国が批評されているのが面白いなあ、と思いました。


2008年3月6日

角田光代のこれからはあるくのだを読みました。
小さい頃から「変わった」子供だった、早く大人になりたいと思っていた、という角田光代のエッセイ集でした。
私も今はごく普通の常識人になりましたが、小さい頃は変わった子供だったので、なんとなく親近感を抱いてしまいます。 普通の人が見る世の中の風景と、角田光代が見る世の中の風景はちょっとずれているような気がします。 例えば、私が見ている赤い色は他の人も同じ色に見えているんだろうか、というような疑問を感じる瞬間のような面白さを感じます。
常識的な知識に欠けていて、普通のことができなかったりする。 でも、世の中の成り立ちについては鋭く見通していたりする。
そんな、ちょっとずれた視点でのエッセイが満載で、konnok的には結構気に入りました。


2008年3月3日

佐藤多佳子の黄色い目の魚を読みました。
父親のテッセイに似て絵がうまい木島と、叔父の通ちゃんの絵が好きな村田の物語でした。 一言で言うとボーイミーツガールの物語ですが、主人公の木島と村田がそれぞれ魅力的なだけでなく、まわりの大人たちもみんな魅力的で、わくわくする物語になっています。 高校生の主人公たちがまっすぐな気持ちで悩んだり行動したりするのがすがすがしく感じます。 そして、二人が出会ったことによりそれぞれが成長していくのでした。
この物語には絵を描く人が何人か登場しますが、私にも絵を描く才能があったらもっと青春や人生が楽しくなったんじゃないかなあ、と思わせられました。
いくつかのエピソードが心に残って、この二人に出会えてよかった、と思える物語でした。


2008年2月28日

奥田英朗の邪魔を読みました。
郊外に1戸建てのマイホームを買ったばかりの奥さんがだんだん壊れていく物語でした。 平和で幸せな生活を送っているはずなのに、いろいろな事件に巻き込まれてパニックになってしまい、思いも寄らぬ行動をしてしまうのでした。
物語を読み終えて、結末についてたくさんの疑問が浮かんできました。 登場する刑事の義母とはいったい何者なのか。 ヒロインの家族は一体どういう結末になったのか。 他にもいろいろ結末に対する疑問点・未消化な部分があります。
いつもの私なら未解決の謎が多すぎる、というコメントになるところですが、この物語についてはあまりそういう感想はありませんでした。 なぜかなあ、と考えてみると、筒井康隆のウィークエンドシャッフルのように、ジェットコースターに乗せられているようなハチャメチャな展開がこの物語の持ち味だからなんだろうな、と思っています。
どうしてこの物語のタイトルが「邪魔」なのか、それが最大の謎です。


2008年2月20日

佐藤多佳子のスローモーションを読みました。 高校生の女の子の視点から家族や友達を描いた物語でした。 不良なんだけど心の優しいニイちゃん、学校の先生で頭の固いお父さん、子連れの男と見合い結婚したお母さんという家族と暮らす高校生の女の子。 学校でもワルの女の子たちとつるんで遊びまわっています。 でも、クラスの中でいじめられているスローモーションな女の子が気になってきます。
決して幸福とはいえない女の子が自分の生き方を模索していきます。 読んだあとの後味もあまりよくはないのですが、主人公の女の子の人生に対する姿勢に共感を覚える物語でした。


2008年2月18日

桐野夏生の白蛇教異端審問を読みました。 桐野夏生のエッセイ・日記・短編集でした。
あとがきで東野圭吾が「このエッセイは彼女の口から吐かれた怒りの炎なのだ」と書いているように、桐野夏生の歯に衣着せない意見がこれでもか、と書かれていました。 女性の視点から感情的で理論的な、そして結構過激な論説が展開されています。 (と、書いたとたんに女性の視点とは何か、定義してから論説しろ、といわれてしまいそうですが。) このエッセイ集で主張されている意見は、私が日頃感じているものも多く、応援したくなります。
表題作の白蛇教異端審問は、直木賞を受賞したときに、匿名の評論家からあしざまに批判されたことに対して、反論したエッセイでした。 例えばmixiなどの議論でも、卑怯にも匿名でコミュニケーションを荒らす人はいくらでもいるので、そのような輩は無視するのが一番なのでしょうが、律儀な桐野夏生はまじめに反論したのでした。 結果的には、反論は空を切って論戦自体が成立しなかったらしいのですが、桐野夏生の主張と苦闘は面白く読みました。 にょろ。


2008年2月14日

角田光代の幸福な遊戯を読みました。 角田光代のデビュー作を含めた3つの物語が収録されていました。
若い女性がまわりの人たちとうまくつながっていけないもどかしさを描いた物語たちでした。 主人公の女性たちはごく普通に人生と向き合っているつもりなのですが、周りの人たちとうまく適応することができません。 そして、そのような周囲との溝を抱えながら少しずつ壊れていくのでした。
普通の女性が普通に暮らしているはずなのに、なぜか望んでいない結末になっていきます。 主人公の女性たちの悲しみが伝わってくる物語でした。


2008年2月12日

福岡伸一の生物と無生物のあいだを読みました。
生物と無生物を分けているのは何なのか、ということをDNAの発見の物語をからませながら解説した本です。 門外漢にもわかりやすいように、理解を助けるモデルを提示して説明されています。
一昔前に人間が漠然と生命とは何かと考えていたことと、本書で説明されている現在解明されている生物の姿とを比べながら読んでいました。 解説されていた生物の姿は私がイメージしているものとそれほど違っていなかったので、ちょっと安心しました。
私がこの本を読んで思ったことは、生命というものは気の遠くなるような時間をかけて完成してきたものなので、人間が理解しようとすることはともかくとして、作ることはできない。 ひょっとしたら、遺伝子を操作することさえも実はとんでもない錯誤なのかもしれない、ということです。 何世代も先になってから、遺伝子を操作した食物を摂ったことによる弊害が明らかになったとしても、誰もそれを修復することはできないだろうから。


2008年2月8日

奥田英朗の空中ブランコを読みました。
イン・ザ・プールの続編でした。 常識外れの精神科医、伊良部の活躍!?を描いた短編集でした。 いろいろな悩みを抱える患者たちの心をとんでもない方法で解きほぐし、心因症を解消していくという物語でした。
ある意味では天真爛漫な伊良部の行動になんとなく共感を覚えてしまうのが怖いところです。 とは言え、露出狂の看護婦マユミが気に入ってしまいました。


2008年2月6日

きたみりゅうじのフリーランスのジタバタな舞台裏を読みました。
SEのフシギな生態などを書いた作家のエッセイでした。 会社を辞めることになった経緯、会社を辞めた後の収入がないという不安感、書いた本が売れ始めたときの安心感などがきたみりゅうじらしく面白く描かれています。
理解のある奥さんがフリーランスになりたいという著者の背中を押したのでした。 いい奥さんだなあ、とあこがれてしまいます。
フリーランスである著者は子供と過ごす時間がとても多いわけですが、普通の会社に勤めている人は夜と土日しか子供と一緒に過ごすことができないんですよね。 子供と一緒に過ごすということが、普通の人にはできないという社会は病んだ社会なのではないか、と思ってしまいました。


2008年2月4日

京極夏彦の鉄鼠の檻を読みました。
京極堂シリーズの4作目です。 箱根の山奥にいつの時代に建立されたかわからない古い寺がありました。 そこには、その中に捕えられてしまったかのような僧たちが禅の修業をしているのでした。 ところが、その寺を舞台に僧が次々と殺されるという事件が起きてしまうのでした。
物語の多くの部分が妖怪の解説や禅宗の歴史の解説などに割かれているのですが、それがまた良くわからないなりに面白い。 何しろ文庫本の厚さが5cm以上あり、読み応えは十分です。
13年前の事件も絡んで、物語が語られていきます。 悟りを目指しているはずの僧たちも煩悩にさいなまれています。 一癖も二癖もある登場人物たちも霞んでしまうような、寺の圧倒的な存在感が印象的でした。


2008年1月30日

夢枕獏の陰陽師 瘤取り晴明を読みました。
陰陽師のシリーズの絵本でした。 こぶとり爺さんの物語を陰陽師風にアレンジした物語した。 村上豊の絵も雰囲気が出ていて物語を楽しむことができました。 こういうのもアリだなあ、と思いました。


2008年1月28日

柳原慧のパーフェクト・プランを読みました。
誘拐をテーマとしたミステリでした。 誘拐する側は誘拐した子供が虐待にあっていることを知って、子供の身の安全を考えて返すことに躊躇してしまいます。 誘拐された側はいろいろな都合があって、誘拐されたことを公にすることができません。 誘拐犯と子供を誘拐された夫婦、警察の特殊班、さらに第三者のハッカー(というよりはクラッカー)が絡んで登場人物たちの物語が語られていきます。
誘拐に仕手株やコンピュータウィルスのテーマが絡んでいて飽きさせません。 誘拐もいろいろなパターンで複数回繰り返され、物語に引き込まれてしまいます。 エンディングに向けてはちょっと詰めが甘いかなあ、と感じましたが、全体的に面白い物語でした。


2008年1月25日

佐藤多佳子のサマータイムを読みました。
小学生の姉弟が隻腕の少年と出会い、ひと夏を過ごすという物語をメインテーマとした短編集でした。 ピアノのメロディがモチーフになっているので、(私にはよくわかりませんが)音楽好きの人は気に入るかもしれません。
少年は母親の都合で姉弟の前から姿を消してしまうのですが、高校生になったときにまた再会するのでした。 弟の目から見た少年と姉、姉の目から見た弟と少年、少年の目から見た姉と弟の物語としてエピソードが描かれていて、エッシャーの絵のような奥行きが感じられます。 最初の短編の最後で感じた違和感が、物語全体を通して読み終わるころには、柔らかく溶けていくのが心地よく感じられます。
佐藤多佳子の本をもう少し読んでみようと思いました。


2008年1月23日

角田光代のキッドナップ・ツアーを読みました。
家族と暮らせなくなってしまった(らしい)父親が小学5年生の娘を連れ出して、いろいろな街を旅してまわります。 父親はお金が無いので、汚い旅館、寺の宿坊、に泊まり、そして最後は野宿まですることになってしまうのでした。 父親は冗談めかしてユウカイ旅行だ、と言っています。
なぜ、この父親が母親と子供と暮らせなくなったのか、父親は母親と交渉しているようだが、何を交渉しているのか、そのようなことは全く物語られていません。
このためか、娘の立場から不甲斐ない父親を見て感じていることがストレートに表現されています。 言いたかったけど言えなかったこと、言わなければいいのに言ってしまったこと、女の子の想いが物語られていきます。 生身の小学生の女の子がお父さんにぶつける気持ちが等身大で表現されていて、物語を楽しむことができました。


2008年1月21日

佐藤多佳子のしゃべれどもしゃべれどもを読みました。
まだ修行中の落語家と、彼に落語を通じて話し方を教えてもらおうとする生徒たちの物語でした。 指導するときにどもってしまうテニスコーチ、自分に自信がないために他人の好意を疑ってしまう女性会社員、転校してきた学校でイジメにあっている小学生、そして話のできない野球解説者、と生徒たちも一癖も二癖もあります。
主人公の落語家を含めて、自分を自分自身で肯定して自信を持つために苦闘するのでした。 歯切れのいい語り口でどんどん物語が語られていきます。
読み終えたところで、それぞれの問題がどう片付いたのかは全ては語られていませんが、それでいいのかもしれません。 この物語で語られているのは、それぞれの登場人物が自分自身を肯定していく過程なのですから。


2008年1月16日

江國香織のぬるい眠りを読みました。
常識とはちょっとずれている人たちを描いた短編集でした。 読んでいて、そういう人はいないだろう、とは思っても、つい物語に引き込まれてしまうのが江國香織の魅力でしょうか。 女の人の感じ方というのはよくわからないなあ、と思う物語が多かったですね。
災難の顛末という物語では、飼い猫が拾ってきた蚤におびえる女性が主人公です。 蚤に刺されて足や腕が腫れてしまって四苦八苦していくのですが、付き合っている男性には助けを求めず、すれ違いの結果、分かれることになってしまうのでした。 最近の女性にとって、恋人なんて本当に軽い意味しかないのね、と思ってしまいました。


2008年1月11日

石田衣良の手のひらの迷路を読みました。
掌編とそれに対する解説という形のエッセイ集でした。 掌編だけで読むと普通のショートショートなのですが、解説があるので、それが書かれたときの状況やその物語にこめられた意味などが想像できて面白く読めました。
物語の中では、会社を辞めたときの開放感を描いた掌編が気に入りました。 私は辞表をたたきつけて会社を辞めるということは今までもなかったし、たぶん今後もないと思うので、そういう開放感にあこがれてしまいます。 とは言え、石田衣良のように才能のある人でなければ、すぐに路頭に迷ってしまうんだろうなあ、と思いました。 小説を書くのが楽しくてしょうがない、ということがわかる掌編もあって、うらやましくなってしまいます。


2008年1月9日

藤島康介のああっ女神さまっ 36を読みました。
最近、新刊のチェックをしていなかったので、ああっ女神さまっも34、35、36冊をまとめて読みました。 スクルドの幼い恋、カメラが映した昔の恋、みんなが記憶喪失になったら、と目先のテーマは変わりますが、十年一日のごとく変わらないラブコメディが演じられています。 まあ、平凡な人生において、安心して読めるコミックがあるというのは、多分いいことですよねえ。


2008年1月7日

海堂尊のチーム・バチスタの栄光を読みました。
友人がおすすめしていたので、読んでみましたが、本当に良質のメディカル・エンターテインメントでした。 インタビューにおける論理的なロジックの組み立てが面白い。 ネガの章とポジの章と名づけられた二つの章がからみあって人間模様を浮き出させています。
しかも、登場人物たちがそれぞれ一癖も二癖もある人たちで、脇役だと思っていた人も伏線がひいてあるという構成になっていて、楽しめます。 会話も面白く、電車の中で噴出してしまって周りを見回してしまうという状況になりました。
パッシブ・フェーズとアクティブ・フェーズのインタビュー技法はとても面白かったのですが、これは本当に存在するものなんでしょうか。 もし本当に存在するものなら、ぜひ勉強してみたいものです。


2008年1月4日

しげの秀一の頭文字D 36を読みました。
イニシャルDの36巻目です。 プロジェクトDの神奈川エリア遠征で、拓海は小柏カイと対戦します。 この巻では峠バトルは中盤でまだ動きはありませんが、別の場所で文太とカイの父親の子供自慢の会話が続いています。
ところで、長男がインターネットで同人誌の「電車でD」というのを見つけて喜んでいました。 これは、イニシャルDを電車で実現してしまう、というとんでもない代物なのですが、原作のパロディが随所に利いていてバカバカしいけれど面白い読み物になっています。 真夜中の電車で複線ドリフトなどというありえない技が「ギョアアア」とか「ゴオオオオ」という擬音と一緒に描かれているので、イニシャルDファンとしてはツボにはまってしまいます。


2008年1月1日

今年も、面白そうな本を探して読んでいきたいと思います。 そしてなるべく本を選ぶときに参考になるようなコメントを記録していきたいと思います。
皆さんの日記の情報も参考にしていますので、よろしくお願いいたします。




2007年に読んだ本の感想