奇妙な思いつき



konnokの頭の中にあるSF的な奇妙なアイデアを記録します。
こんなことを考えているから私は変な人だと思われているのかなあ。


2009年10月10日

鏡像について

鏡に映った像が、左右が反対になって上下が反対になるのではないのはどうしてなのか、という疑問はよく聞きます。
広瀬正の鏡の国のアリスという小説での解答は、鏡像というのは上下左右はそのままで、前後が逆になるのだ、というものです。
人間は左右対称の姿をしているので、それを左右が逆であるように錯覚するのです。

私たちは小さい頃から鏡像を見慣れているので、ビデオカメラの映像を表示したり90度で交差した鏡を覗いたりして、正しい姿が映されると逆に違和感を感じてしまいます。
昔ソニーのPCに初めてカメラがついたとき、自分を映した映像は左右を逆転して表示しているというのを面白いと感じたことを思い出しました。


2006年4月6日

顔と植物の部品の名前

日本語の顔の部品の名前と植物の部品の名前が奇妙に一致しています。
なまえ以外で符合するところはないようですが、不思議なので記録しておきます。

ことば顔の部品植物の部品
はな
くち
ほお
みみ
まゆ

繭は植物の部品ではありませんが、植物に生るものではあると思います。

まあ、単なる偶然の一致だとは思うのですが、やまとことばの成り立ちの過程でなにか理由があるのではないかと想像するのも楽しいものです。


2005年10月1日

「ヰ」と「ヱ」の再利用

今はほとんど使われていませんが、50音のワ行には旧仮名遣いの以下の文字が存在しています。
ひらがなカタカナ読み
[wa]
[wi]
[we]
[wo]

これをエコロジーの観点から再利用することにすると「ンドウズのブブラウザ」というような表記が可能となります。

まあ、ちょっと考えると、こんな表記にしたとしても「ウィンドウズのウェブブラウザ」より文字数がちょっと減るだけなのであまり意味はないんですが。


2005年3月12日

鏡に映る像

鏡に身体を映すと映った像は左右が反対になります。 しかし、なぜ上下が反対にならずに左右が反対になるんだろう、と疑問に思ってしまいます。 例えば、VAIOのノートのようにカメラ付のパソコンで自分の顔の画面を表示するときは違和感がないように映った像を左右反転してから表示するという仕様になっています。
鏡を2枚直角に置いて45度の方向から見る実験をしてみると鏡像ではなく左右が反対に映りますが、その鏡の方向が横の場合は、上下が反対に映ります。

結局、鏡に映った姿が物理的な現象としては正しくて、それを自分の姿と引き合わせて考える頭の働きにより左右が反対になったように感じられるのですね。

ウニやヒトデが進化した生物が鏡に映った自分の姿を見たら、どのように反対だと感じるのでしょうか。気になりますね。 $1の「闘技場」という物語には丸い団子の形をした知的生物が登場するのですが、その生物に聞いてみたいところですね。


2005年2月15日

土竜図

麻雀の東南西北は反時計回りの順になっており、一般的な地図の時計回りに東南西北という方位と逆順になっています。

麻雀の方位地図の方位中国占いの方位
西
西
西

一般的な地図は鳥瞰図ということで上から見た地図になっていますが、麻雀の方位は土竜図(土竜はもぐらのこと)ということで地上から空を見上げたときの空の方位であるため逆回りになっているとのこと。 中国の占いである気学(風水)の方位は通常の方位と同じ順番(ただし南が上)になっているので、麻雀の起源は土竜図を使っているというモンゴル方面なんでしょうか。
確かにモンゴルのような見渡す限りの草原の地域では地上にランドマークがないので空の星を目印に地図を書いたほうがわかりやすいのかもしれません。

まあ、ちょっと考えてみると、土竜図で書いた地図を見るときはその地図を上に向けて見ないといけないはずなので、使い勝手が悪いような気がするのですが。


2005年1月10日

ドーナツ型の世界

ドラゴンクエストやファイナルファンタジーの物語の世界の地図は長方形になっており、左辺は右辺とつながっています。 ところが、上辺と下辺もつながっているため、この世界はトポロジー的に言うと球形ではなくドーナツ型の世界になっています。
小学生のある程度の割合の子供たちは地球の周りを太陽が回っていると思っている、というような記事を見ると、このようなゲームで育った子供たちが世界地図を誤解しないか心配になってきます。

まあ、ちょっと考えてみると、このような世界はありえないので心配することもないのですが。
まだ、昔の人たちが考えていた、世界は丸いお盆のようなもので地の果てでは海から水がこぼれている、という考え方のほうが納得性がありますね。


2004年6月27日

ワクチン

ヒトの身体は病原菌が入ってくるとそれを撃退するための抗体を作って、病原菌を撃退します。 昔、病原菌を弱くしたものを身体に入れることによって人工的に抗体を作ろうと考えた偉人がいました。

最近、子供たちが怪我をするといけないから、という理由で、小学校ではナイフなどの危険なものを扱わせないという指針が出ているようです。
子供の頃にナイフで怪我をしてしまったときの痛みを経験することが、他人を傷つけてはいけないということを実感として理解するための抗体ではないか、と考えます。

小さい頃に無菌状態で育ってしまった人間は、大人になってからちょっとした病原菌で大きな病気になってしまうのではないか、と考えてしまいます。


2004年6月27日

日本人の習慣・常識というシステム

ヒトの生体システムというのは人間が設計したものではなく、自然淘汰により完成されてきたものとだと思いますが、このシステムが完成されてきた期間のほとんどは人間は飢えていたので、飢えたときの対処についてはシステムとして組み込まれているが、飽食の対処のシステムは組み込まれていない。
このため、成人病・生活習慣病が発生してしまうという説があります。

日本人の習慣・常識というシステムもヒトの遺伝子ほどではなくても数百年以上に亘って完成されてきたシステムですが、この期間のうちかなりの期間は庶民は貧しかったので貧しさに対処するシステムは組み込まれていても、庶民が豊かであるときに発生する問題に対処するシステムは組み込まれていないような気がします。
現在の少子化傾向や若年層がメンタル的に弱いなどという点などはこのようなシステム的な問題として発生しているのではないでしょうか。

まあ、ちょっと考えると、これを解決するために欧米の契約社会を持ち込むというのは間違いだと思いますね。
養老孟司の主張する、都市の人間が従来の農村の仕事のやり方の経験をつむべきだ、という主張には諸手を上げて賛成しますが。


2004年4月11日

蜘蛛の糸

昔読んだ本に、人間は生きているうちは蜘蛛のようにお尻から見えない糸を出していて、移動するときも糸を出し続ける。 この糸の量はその人毎に決まっていてそれが底をつくと寿命が終わる、という伝説が紹介されていました。
この伝説を信じている人はなるべく糸が絡まないように、どこかに出かけるときは行った道を正確に戻るようにするのでしょうね。
その糸の絶対量はあらかじめ測定できるわけではないわけなので、このような伝説も意味は無いのかもしれませんが、輪廻転生などもその具体的な実現方式が説明できるわけではありませんからね。

まあ、ちょっと考えてみると、新幹線やジェット機で移動すればあっという間にその糸は消費されてしまうので、現在の生活状況では現実感のない伝説ですね。


2004年3月4日

非ユークリッド幾何学

仕事をしていると常に解決しなければならない問題が出てきますが、その解決法を考えると
  1. ない(回避策を考える)
  2. 解決策が1つだけある
  3. 全く別の解決策が2つ以上ある
の、いずれかになるのですが、これは幾何学で言うある直線に対する平行線の本数と同じに思えてきます。
つまり、1と3は非ユークリッド幾何学で、2はユークリッド幾何学に相当すると言うことです。

まあ、ちょっと考えてみると、問題点・解決策と平行線は全く違いますが。
(このアイデアを担当者に話したら「へっ!?」という顔をされました)


2004年1月18日

ローマ字の拡張

仙台弁の記録や新しい言葉の確認をしていると、ローマ字で記録できないもの、記録できにくい発音があります。
一つの案として次のような拡張を考えてみます。
発音ローマ字拡張案解  説
か゜〜こ゜qa 〜 qo現仕様では半濁音は「nga」などと記述している
「ん」の後に記述するときに紛らわしいので
陽に半濁音だと表示したい場合は「qa」のように記述する
x現仕様ではつまる音は続く音の子音を重ねることにより記述している
つまる音で終わる場合に記述ができないので
専用の文字「x」を割り当てる
あ゛〜お゛ab 〜 ob英語で「ああ」は「ah」と記述されるので
「あ゛」は「ab」と記述する

これを採用すると以下のようにすっきりと分かりやすい表現に出来ます。
ああっ!めがみさまっ!あ゛、あんぱんがくいたい。あっちこっちいってきました。
Aax ! Meqamisamax !Ab, Anpanqa kuitai.Axchi koxchi ixtekimashita.


まあ、ちょっと考えてみると、現在はローマ字なんてかな漢字変換のベース以外には使われていないので、こんな拡張は不要かもしれませんが。


2003年12月7日

新生物

地球の生命共同体をひとつの生物とみなすと、人間と言うのは悪性の新生物と考えることができると思います。
生態系を破壊して毒素を撒き散らし、植物や他の動物を絶滅させてしまいます。
紀元前に4大文明が栄えた場所はいまは砂漠になってしまっています。 日本人というのも昔は良性の新生物だったと思いますが、最近は悪性に変わってしまったようです。
ガンになるとその生物は大抵死んでしまうように、地球の生態系も虫の息になっているのかもしれません。

まあ、ちょっと考えてみると、腫瘍の一つ一つの細胞は単にDNAによって活動しているわけで、その生物を殺そうとして活動しているわけではないのでしょうが。
$1の「不死鳥への手紙」という物語をちょっと連想しました。


2003年11月22日

3年前の自分

あらゆる動物は食物を摂取して排泄物を排泄して生きていくので、その動物を構成している分子は随時入れ替わっていきます。 昔読んだ記憶では、人間の場合は大体3年間でその身体を構成している分子が入れ替わると書いてありました。
ということは、3年経てば別の人になってしまうと言うことですね。
宮沢賢治の「私という現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」というのをなぜか連想してしまいます。

まあ、どんな言い訳をしようと法律的には同一の人物とみなされるわけですが。
$1の「鏡の間で」という物語で、時間を戻す機械というアイデアがあって、ある人が機械に入って機械を動作させると20年前の自分に戻ると言うのがありましたが、こう考えると原理的に無理ですね。


2003年11月12日

CoreWars

ブートストラップ」のアイデアを進めていくと、メモリ上のプログラムが自己増殖しながら生きている遺伝子のように動作して互いに戦うというシステムを作ることができます。
このアイデアで作られたシステムがCoreWarsという仕組みで、参加者が自分の強力なプログラムを作って闘技場のようなシステムに投入し互いに戦わせて勝利者を決めるというようなゲームになっています。
core(コア)とはメモリ空間のことで、昔主記憶がコアメモリだった頃の呼び名です。 この呼び名からも分かるとおり、10年以上前からこのゲームは存在しています。

まあ、全ては作り物の世界なのですがコンピュータウィルスが猛威を振るっている現在、他人事ではないところですが。
ジョージ・R・R・マーティンの$1と同様の不気味さを感じますね。


2003年11月03日

4次元キューブ

ビリヤード」の項目で説明した世界観は、世界が始まって終わるまでを3次元の世界+時間(虚数単位)の4次元のキューブに描くことができるという表現もできます。 私たちは4次元の水晶に描かれている物語どおりに生きて生活して死んでいくということになるわけです。

この4次元キューブが複数並列に存在すると考えるのがパラレルワールドという考え方です。(この時点で世界は5次元になってしまいますね)
タイムマシンで過去に行って自分が生まれる前に自分の親を殺したらどうなるのか、というタイムマシンのパラドックスというのがあります。
パラレルワールドの考え方ではタイムマシンで時間を遡った時点でUNIXでforkを行ったときのようにパンと世界が二つに分かれてしまうということになります。 その2つの世界はほとんど同じなんだけど、時間軸が先に行くにしたがって相違は加速度的に大きくなります。
この考え方で特徴的なのはひとつのワールドから他のワールドに移るなんてことはできない、ということです。それぞれが自己完結した世界だからです。

まあ、「あれ、決定論的な世界だったはずなのにいつの間にか変化の可能性が含まれてしまってるな」、という疑問がでてしまいますが。
浅田次郎の$1に収録されている「再会」という小説にこのアイデアが使われています。


2003年10月26日

利己的な遺伝子

地球上の生物は利己的な遺伝子の乗り物であり、自分たちが意識しているかしないかにかかわらず、自分のコピーを次の世代に伝える方向に行動するようにできている、という考え方があります。
母親が子供を育てるなどと言うことも、ちょっと見ると他個体の遺伝子に奉仕しているように見えるかもしれませんが、遺伝子を50%共有している個体が生き延びることは結果的にその遺伝子が生き延びることになります。
永い進化の過程の中で自分のコピーをより多く残す戦略を選択した遺伝子が生き残っていると考えられます。
この前提で考えると、私たちが自分の自由意志で選択したと思っている行動は、実は無意識のうちにプログラムされていたものなのかもしれません。

まあ、ちょっと考えると、人間は自由意志を持つことによって生き残ってきた種なので遺伝子に逆らうことはできるのかもしれませんが。
私が利己的な遺伝子について読んだのはリチャード・ドーキンスの$1でした。


2003年10月24日

0で割る

ある値を0で割るとどのような値になるかということは、算数のなかで最初に遭遇する矛盾です。
これを解決するために、例えば0÷0=0と定義し、1以降の数も全て0と同じ値であると定義すると、無矛盾ではあるがほとんど意味のない体系ができあがります。
若いときには論理的に無矛盾である体系にあこがれることがありますが、現実の世界は矛盾だらけです。
この矛盾が面白いというふうに感じられるようになると人はオトナになるんでしょうか。

まあ、ちょっと考えると、見かけ上無矛盾な体系と言うのは、どこかに必ず隠されたブラックホールがあるものですが。
テッド・チャンの$1に収録されている「0で割る」という小説のアイデアも面白いですが。


2003年10月19日

人生という舞台 その2

コンピュータゲームが進化してきて画面の中で実際に人が動いているような気がするような品質のものが作れるようになってきました。 この技術が進んでいけば、バーチャルリアリティとして視覚や聴覚に直接訴えるような仕組みを作ることができるようになる可能性があります。
人間が外界を認識するのをコンピュータで補助処理するようになったりすると実現の可能性があります。 この際にはコストの問題もそれなりに解決しているでしょうから。

まあ、ちょっと考えると、実際に見るものとコンピュータで生成するものではクオリティが違うので当面はありえないでしょうが。
岡嶋二人の$1はそのようなアイデアをもとにしたミステリーです。
また、映画の「マトリックス」も同様のアイデアから作られていますね。


2003年10月17日

理屈〜おくやみ

伊奈かっぺいの津軽弁の詩の朗読で、お父さんが亡くなった人に「人は一度死んだらもう二度と死ぬことはない、だから今は悲しいけどこれで終わり、もうあとは死んで悲しむことはないんだ」と慰める話があります。
なんか変な感じがしますが、ひとつの考え方なのかな、とか思ったりします。

まあ、ちょっと考えると、今悲しいわけだからそんな風に慰めたからと言ってどうなるわけでもありませんが。
私の父親は私が小さい頃に死んでしまったので、そういう意味では1回もうけたかな、とか思ったりします。


2003年10月13日

ブートストラップ

パソコンが起動するときは、最初にブートストラップ(靴紐)と呼ばれる決まったプログラムが動いて、OSと呼ばれるプログラムを読み込み、そのプログラムが動作することによりパソコンとして機能するようになっています。
しかし、十分に大きなメモリ空間上にランダムなパターンを置いておいてパソコンを起動することを何回か試していると、運がよければそれ自身が正常に動作するシステムとして構成されるかもしれません。
生物の進化の過程ではこのような試行錯誤が行われていたはずです。

まあ、ちょっと考えると、そのようなシステムが正常に構成される確率は、サルがでたらめにキーボードをたたいてシェークスピアの戯曲が書かれるのと同じくらいの少なさでしょうから、成功することはほとんどないと思いますが。
スタニスワフ・レムの「$1」には機械が進化した世界が描かれています。


2003年10月12日

間違い探し

最近、立体視の画像の本が売り出されていますが、それを見ていても、人間の視覚のイメージ情報処理は優れていると思います。
同じ二つの絵に一部違う部分を作っておいてその間違いを探すというパズルがあるのですが、 これも右目と左目でそれぞれの絵を立体視のように見ると違っているところが点滅しているように見えます。 それぞれの絵を交互に見て手続き処理的に比較するより違いを容易に見つけることができます。
このようなパターン認識能力を例えばプログラミングなどに適用することはできないのだろうか、と夢想してしまいます。

まあ、ちょっと考えると、能力の高いSEというのはメッセージや故障事象のパターンの一部を見て的確に原因を推測するので、何らかのイメージ処理化はしていると思いますが。
テッド・チャンの$1に収録されている「理解」という小説はこのようなアイデアに近いと思います。


2003年10月11日

人生という舞台

精神的に疲れているときには、まわりの世界が作り物じみて感じられることがあるので、自分のまわりは映画のセットなのではないかと思うことがあります。
例えば自分が知らないところに行くときは、行くことになった時点で誰かがセットを作り出すということです。

まあ、ちょっと考えると、ある一人の人間のためにそのようなセットや演技者を用意するのは、非常にコストパフォーマンスが悪いので、ありえないだろうなと思うことになるわけですが。
星新一のショートショートにそのようなアイデアの悪魔と契約する物語がありました。


2003年10月11日

ビリヤード

ビリヤードのプールに球をたくさん並べてそのうちの1個を突いたとします。 すると、球は複雑に反射し、ランダムに動くように見えますが、空気抵抗がなく、運動量が熱に変化したりしなければ何十年後でも動き続け、そして、その動きは正確に予測することができます。
これを前提とすると、何十億年も前に神がビッグバンという名前で呼ばれる最初の一突きをしたことにより、今ある世界がどのように動いていくのかは決まってしまっていると考えることができます。
私が今この文章を書いているのも、それをあなたが見ているのも全て決まっていたことなのだと考えることができます。

まあ、決まっているとしてもそれを実際に予測することはできないわけですが。
カート・ボネガットの「$1」という小説にもこのアイデアが出てきます。